オズの魔法使い
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この項目では、小説について説明しています。その他の用法については「オズの魔法使い (曖昧さ回避)」をご覧ください。

オズの魔法使い
The Wonderful Wizard of Oz
初版の表紙
著者ライマン・フランク・ボーム
イラストW. W.デンスロウ
発行日1900年5月17日
発行元ジョージ・M・ヒル・カンパニー
ジャンルファンタジー児童文学
アメリカ合衆国
シリーズオズの本一覧
言語英語
次作オズの虹の国
コードISBN

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『オズの魔法使い』(オズのまほうつかい、The Wonderful Wizard of Oz)は、ライマン・フランク・ボームが著し、W. W.デンスロウが挿絵を担当した児童文学作品。1900年5月17日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴのジョージ・M・ヒル・カンパニーから初版が出版され、以降何度も再版された。

1902年のミュージカル『オズの魔法使い』(The Wizard of Oz)、1939年の映画『オズの魔法使』(The Wizard of Oz)から『The Wizard of Oz 』という題名が定着した。
概要

「マザー・グースの物語」のヒットで童話作家として成功していたライマン・フランク・ボームが、自らが子供たちに語ってきかせた物語を元に書き、1900年5月に出版した。凝った構成によるカラー図版の児童書は当時としては革新的であり、本はたちまち子供たちの心をとらえ、増刷の追いつかない空前の人気作品となった。

アメリカ合衆国カンザス州の農場に暮らす少女ドロシー(Dorothy)が竜巻に家ごと巻き込まれて、飼い犬のトト(Toto) と共に不思議な「オズの国」(Land of Oz)へと飛ばされてしまう話である。なおボームは「竜巻(tornado)」を示す説明と共に「サイクロン(cyclone)」という単語を使用している。

この本はアメリカ文学で最もよく知られた本の1つであり、世界中で翻訳されている。アメリカ議会図書館は「アメリカで最も優れ、最も愛されているおとぎ話」と語っている。初版およびブロードウェイ・ミュージカルの成功後、ボームが13冊、ボームの死後に他の作者等がオズ・シリーズ(Oz books)を出版している。

ボームは「親愛なる友人で同志である我が妻(モード・ゲージ・ボーム)に捧ぐ」と記した。1901年1月、ジョージ・M・ヒル・カンパニーは初版の1万部を売り切った。その後300万部を売り上げ、1956年にパブリックドメインとなった。
出版.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}シカゴのジョージ・M・ヒルによる初版表紙(右)と裏表紙(左)

1900年5月17日、ボーム自身が手作りした最初の本は姉妹のメアリー・ルイズ・ボーム・ブリュスターに贈られた。7月5日から20日にシカゴのパーマー・ハウスで行われたブック・フェアで一般に初公開された。8月1日に著作権を申請し、9月に確立した[1]。ジョージ・M・ヒル・カンパニーから出版され、1900年9月1日には初版1万部が売り切れた。1900年10月までに1万5千部の第二版がほぼ売り切れた[2]

ボームから兄弟のハリーへの手紙によると、出版者のジョージ・M・ヒルは25万部の売り上げを見込んでいた。当初ヒルはこの本が売れるとは思ったが、これほどの大ヒットになるとは予測していなかった。シカゴ・グランド・オペラ・ハウスのマネージャーのフレッド・R・ハムリンは本のさらなる宣伝を兼ねてミュージカル化を打診し、ボームは脚本の執筆に同意した。1902年6月16日、ミュージカル『オズの魔法使い』が初演された。この作品は大人向けの「ミュージカル大作」として製作され、衣裳はデンスロウの挿絵を基にデザインされた。1901年、ヒルの出版社は破産し、ボームとデンスロウはインディアナポリスのボブス・メリル・カンパニーが出版を引き継ぐことに同意した[3]

1944年、ボームの息子ハリー・ニール・ボームは『シカゴ・トリビューン』紙に父親は本を書く前に子供たちに話をして聞かせていたと語った。ハリーは父親を、『6ペンスの唄』の黒ツグミがパイの中で焼き込められた理由を的確に述べることができる、これまで出会った人々の中で最も素晴らしい人物だと語った[4]

1938年まで100万部以上が増刷された[5]。それから20年弱後の1956年には300万部を売り上げた[3]
あらすじ

アメリカ合衆国カンザス州でエム叔母さん、ヘンリー叔父さん、小さな飼い犬のトトと共に少女ドロシーは暮らしている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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