オスマン・ガーズィー橋
開通後のオスマン・ガーズィー橋、2016年7月
オスマン・ガーズィー橋(オスマン・ガーズィーきょう、トルコ語: Osman Gazi Koprusu)、あるいはイズミット湾横断橋は、トルコのイズミット湾(トルコ語版)を渡り、マルマラ海東端に沿って架かる吊橋である。イズミットの街に近く、イスタンブールのおよそ50キロメートル南東に位置する。主塔間の長さで比較して、世界で4番目に長い吊橋である[2]。 橋の建設と運営は、2009年4月に実施されたBOT方式での国際入札を経て、トルコの5社(Nurol、Ozalt?n、Makyol、Yuksel、Gocay)とイタリアの建設会社1社(アスタルディ
プロジェクト
2013年3月30日にトルコの首相レジェップ・タイイップ・エルドアンが橋の礎石の設置を行った[7]。 民間の金融によって調達される10億USドルを費やす橋の建設工事は、2011年7月16日にEPC方式
EPC契約による橋の建設業者
IHIは設計業務をデンマークの技術設計会社であるCOWI(デンマーク語版)に発注した。この橋はイズミット湾の北東岸と南東岸を結んでおり、この間の所要時間を大きく短縮する。湾を渡る橋と接続している高速道路は、片側3車線ずつを備える。共同企業体Nomaygは、2013年1月1日にIHIに対して建設開始の許可を行い、プロジェクトの総工期は37か月とされた。
重要な諸元は以下の通りである[5][4]。
主径間: 1,550メートル
側径間: 566メートル
水面上高さ: 64メートル
主塔高さ 252.0メートル
主塔大きさ(基部): 8メートル×7メートル
桁の規模: 35.93メートル×4.75メートル
この橋は、主径間の長さで世界で4番目の規模となる[9]。 2015年3月21日の現地時間15時30分頃、橋の建設現場において、東側のケーブルで吊るした空中足場が南側主塔上のボルト止めされた接合部の破断により水中に転落した。この空中足場は2015年2月に吊り上げられたもので、湾の反対側に建設作業員が渡るためのものであった。この日は風が強かったため、この区間での建設作業は行われておらず事故によるけが人はいなかった。事故によってイズミット湾に出入りする海上交通は安全上の理由で通行禁止となり、ケーブルを回収した後3月23日の朝に通航が再開された[10][11]。 IHIと伊藤忠商事のコンソーシアムに所属していた51歳の日本人技術者で、建設現場の責任者であった岸竜一は手首と喉をナイフで切って自殺を図り、宿舎の近くの墓地の入口で死亡しているのが発見された。日本語で書かれた遺書には「この事故で、私の職業も人生も終わりになってしまった。プロジェクトは私の、そして国家の誇りだった。他の誰もこの事故に責任はない」とあった[6][11][12][13]。 事故の原因は部品の材料の欠陥と推定された[14]。落下した空中足場を撤去し新たな足場を架設する工事を行って、元の状態に戻すためにおよそ3か月をかけ復旧費用は約21億円に上った[14]。 足場の落下事故の影響もあり、計画より半年あまり遅れて2016年6月30日に開通した[15]。 2016年6月30日時点で橋の通行料金は以下の通りである[16] 車両種類料金(トルコリラ) スーパースポーツ世界選手権で4回優勝したオートバイレーサーのケナン・ソフォーグルは、橋が開通する直前の2016年6月30日の早朝に、バイクでの速度記録に挑戦するショーを行った。彼は1.5キロメートルの区間を26秒で走り抜け、使用したカワサキ・ニンジャH2の最高速度であるとメーカーが述べる時速400キロメートルに到達した[17][18]。 橋はオスマン帝国の創始者オスマン1世(オスマン・ガーズィー)にちなんで命名された[19]。
建設現場における事故
開通
料金
ホイールベース3.2メートル未満の2軸車135.75
ホイールベース3.2メートル以上の2軸車217.15
3軸車257.90
4軸または5軸車342.05
6軸以上の車両431.60
バイク95.00
その他
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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