オスティエンセ
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ローマ・オスティエンセ駅からの眺め(奥はガイウス・ケスティウスのピラミッドオスティエンセローマの地図(オスティエンセは中央下)コムーネのムニチーピオ Iとムニチーピオ XIローマ・オスティエンセ駅駅の周辺(ガイウス・ケスティウスのピラミッド駅の周辺(New OrderのRegretにも登場するGazometro, *it:Gazometro di Roma)Sacra Famiglia

オスティエンセ (Ostiense) は、ローマの第10番クアルティエーレである。Q.Xと省略される。
概要

市の南部にあり、アウレリアヌス城壁テーヴェレ川の待避所である。

行政区区域は、コムーネの第1ムニチーピオ(イタリア語版)と第11ムニチーピオ(イタリア語版)に含まれる。

面積: 712.31 ha。人口: 66 071人。(2010)

隣接:

北は、R.XX(リオーネ)のテスタッチョ[1] と R.XXI(リオーネ)のサン・サーバ(イタリア語版)[2]に接する。


東は、Q.XX(クアルティエーレ)のアルデアティーノ(イタリア語版)[3]に接する。


南は、Q.XXXII(クアルティエーレ)エウローパ[4]に接する。


西は、Q.XI(クアルティエーレ)のポルトゥエンセ(イタリア語版)[5]に接する。


この地名は第11ムニチーピオ(イタリア語版)(ローマのムニチーピオ(イタリア語版))の都市地域11aをも表す。

都市地域の人口は、8,536人。

1930年まで、S.O.と略される同名のスブルビオ(郊外の街)も存在していた。
歴史

オスティエンセは1911年に最初の15のクアルティエーレの1つとして生まれ、1921年に公式に設立されオスティエンセ通りの名前を得た。

2008年3月30日、Schuster公園にナーシリーヤの軍基地で2003年11月12日に起きた襲撃の犠牲者を追悼するための記念碑が完成した。作品は彫刻家ジュゼッペ・スパニューロの案による。
宗教建築

サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂、オスティエンセ通り沿い。総大司教のバシリカ。*サン・ベネデット教会、ガゾメトロ通り沿い。1926年6月3日ピウス11世の使徒憲章「Nostri pastoralis officii」により教区が設立。

サン・フランチェスコ・サヴェーリオ・アッラ・ガルバテッラ教会、ダニエーレ・コロンビ通りにある。1933年5月1日ピウス11世の使徒憲章「Quo omnes sacrorum」により教区が設立。

サンタ・ガッラ教会、オスティエンセ環状道路にある。教区は1940年12月13日に枢機卿代理フランチェスコ・マルケッティ・セルヴァッジャーニの通達「Templum in honorem」により設立。*サン・レオナルド・ムリアルド教会、サルヴァトーレ・ピンケルレ通りにある。教区は1964年1月5日に設立。

サンタ・マリーア・レジーナ・デリ・アポストリ・アッラ・モンタニョーラ教会、 アントニーノ・ピーオ通りにある。小さい聖堂。教区は1976年10月26日枢機卿代理ウーゴ・ポレッティの通達「Pastorali munere」により設立。

最寄駅

・地下鉄 最寄り駅は、「ピラーミデ駅」、「ガルバテッラ駅」、「バジリカ・サン・パオロ駅」および「マルコーニ駅」。

・在来線 オスティエンセ駅
備考^ サン・パオロ門(オスティエンセ門)で、アウレリアヌス城壁のテーヴェレ川から分けられている。
^ アウレリアヌス城壁のサン・パオロ門(オスティエンセ門)からアルデアティーナ門で分けられる
^ クリストーフォロ・コロンボ通りの、「ポルタ・アルデアティーナ通り」から「ラウレンティーナ通り」、「クリストーフォロ・コロンボ通り」から「アトレーティカ大通り」で分けられる。
^ 「アトレーティカ大通り」と「マリアーナ陸橋」から「テーヴェレ川」までで分けられる。
^ テーヴェレ川の「マリアーナ陸橋」から「インドゥストリア橋」までで分けられる。

参考文献

Cerchiai, Claudia (1997). I quartieri di Roma. Roma: Newton & Compton.
ISBN 978-88-8183-639-0 

関連項目Eatalyのローマ店(旧Air Tirminal Ostienseの建物)


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