オスカー・スレイター事件
The Case of Oscar Slater
犯行現場となったダイニング・ルームの写真(検察側提出証拠物件5号。暖炉の前のクッションは遺体のあった位置を示す[1])
場所 イギリス
スコットランド・グラスゴー・クィーンズ・テラス15号
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯55度52分12.8秒 西経4度16分12.7秒 / 北緯55.870222度 西経4.270194度 / 55.870222; -4.270194
オスカー・スレイター事件(オスカー・スレイターじけん、英語: The Case of Oscar Slater)は、1908年にスコットランドで発生した殺人事件である。グラスゴーに住む裕福な老婦人が撲殺され、ユダヤ系ドイツ人のオスカー・スレイターが国外逃亡犯としてアメリカで逮捕された。スレイターは一貫して無実を主張したが、裁判では多数の目撃証言を決め手として有罪とされ、死刑判決を下された。
しかし、裁判に対する疑問から集まった助命嘆願によりスレイターは終身刑に減刑され、小説家のアーサー・コナン・ドイルを始めとした多くの著名人も事件の冤罪性を訴えてスレイターを支援した。さらに捜査に加わっていた現職警官も真犯人の存在を指摘する内部告発を行い、政府による事件の再調査も行われた。再調査ではスレイターに対する有罪判決は覆らなかったものの、その後重要な目撃証人たちが相次いで証言を撤回し、冤罪を訴える声が高まったことにより議会は事件に対する控訴を認める特別法を定めた。そして、事件発生からおよそ20年が経過した1928年にスレイターは控訴審で無罪判決を受け、事件は冤罪と認められた。
事件ギルクリスト宅のドア
事件の被害者となったのは、グラスゴー西部、クィーンズ・テラス15号(下図参照)に在するフラットの2階に住んでいた[2][3]、当時83歳の女性マリオン・ギルクリスト (Marion Gilchrist) である[4]。ギルクリストは多くの宝石や貴金属を自宅に持っており、周囲からは盗品の故買をしていると無根拠に噂されていた[5][6]。用心深い性格のギルクリストは物盗りを恐れ、玄関ドアに3つの錠とチェーンを付けていた[4]。
1908年12月21日の夕方、ギルクリストは使用人であったヘレン・ランビー (Helen Lambie) に使いを頼み、ランビーは玄関に鍵をかけ、ギルクリストを一人室内に残して10分ほどの予定で外出した[7]。19時頃、ギルクリストの真下の部屋の住人であるアーサー・アダムス (Arthur Adams) が物音を聞きつけて上階のギルクリスト宅へ向かった[8]。それと同時刻に使いから戻ったランビーも異常を察知し、玄関の鍵を開けると、室内から「立派な身なりをした」「とても愛想のいい様子」の男が現れ、2人の横をすり抜けて階段を駆け下りていった[9]。アダムスによれば、ランビーはその男を見てもまったく驚いた様子を見せなかったため、アダムスは彼がギルクリストの知人であるような印象を受けたという[10]。
その直後、フラットが面するウェスト・プリンセス・ストリートを歩いていた当時14歳[11] のメアリー・バロウマン (Mary Barrowman) が、フラットから走り出てきた男に体をぶつけられている[12]。バロウマンは男の顔をおよそ2秒間目撃した[13]。さらに19時8分頃にも、フラットの表通りを歩いていた市民が、2人の男が通りを駆けてゆくのを目撃している[14](下図参照)。