オスカル・ルジェリ
ボカ・ジュニアーズでのルジェリ(1980年)
名前
本名オスカル・アルフレド・ルジェリ
Oscar Alfredo Ruggeri
愛称エル・カベソン
ラテン文字Oscar Ruggeri
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1962-01-26) 1962年1月26日(62歳)
出身地コラル・デ・ブストス
オスカル・アルフレド・ルジェリ(Oscar Alfredo Ruggeri, 1962年1月26日 - )は、アルゼンチン・コルドバ州出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。ニックネームはエル・カベソン(El Cabezon=デカ頭)[2]。 1980年、当時ディエゴ・マラドーナが所属していたボカ・ジュニアーズでキャリアをスタートする。1985年にライバルのCAリーベル・プレートに移籍し、1986年のアルゼンチンリーグ、コパ・リベルタドーレス、インターコンチネンタルカップの3冠獲得に貢献した。1989年からレアル・マドリードで1シーズンプレー、コパデルレイでは決勝でFCバルセロナに敗れ優勝を逃したが、リーグ戦では31試合に出場し[3]リーグ優勝に貢献した。その後ベレス、1992年にはイタリアセリエAのアンコーナ、CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロなどに在籍する。1997年にラヌースで現役引退した。 アルゼンチン代表としては97キャップを記録し、3回のFIFAワールドカップに出場した。代表キャップ数はディエゴ・シメオネに抜かれるまで最多記録であった。1986年のメキシコW杯では、大会で出場した最も優れたストッパーと賞賛されるプレーで優勝に貢献[2]、1990年のイタリアW杯では5試合に出場したが、決勝の西ドイツ戦では負傷で途中交代を強いられ[4]、チームは敗れ、準優勝に終わった。
経歴