グスタフ・オスカル・アウグスティン・モンテリウス(英語: Oscar Montelius, スウェーデン語: Gustaf Oscar Augustin Montelius、1843年9月9日-1921年11月4日)は、スウェーデンの考古学者。考古資料の編年と相対年代の決定に大きな足跡をのこし、特に、その方法論としての型式学的研究法の提唱は世界的に大きな影響をあたえた。 1843年9月9日、スウェーデン王国の首都ストックホルムに生まれた[1]。幼いころから人類学・先史考古学を志したといわれる[1]。北欧有数の大学であるウプサラ大学を卒業[注釈 1]。同大学では歴史学を学んだ。1863年以降、ストックホルムに所在するスウェーデン国立歴史博物館に助手として雇われ、ここでも学んでいる[2]。1869年、母校ウプサラ大学で博士号を取得、1871年、有名な慈善家となるアグダ(sv
目次
1 人物略歴
2 業績
3 主著
4 脚注
4.1 注釈
4.2 参照
5 参考文献
6 関連項目
7 外部リンク
人物略歴
1907年、国立歴史博物館の館長に昇進すると同時に国家古物管理官に任じられ、スウェーデンの文化財の保存や研究に大きな功績をのこした[2]。1913年、両職を引退。その後は1917年から21年までスウェーデン・アカデミー会員(第18席)の地位にあった。なお、ロシア帝国の歴史家でイギリス(のちアメリカ合衆国)に亡命したミハイル・ロストフツェフとは親交があり、ロシア革命勃発に際してはロストツェフを援助している。