この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。詳しくは馬齢#日本における馬齢表記を参照してください。
オグリローマン
欧字表記Oguri Roman[1]
品種サラブレッド[1]
性別牝[1]
毛色芦毛[1]
生誕1991年5月20日[1]
死没2015年3月3日(24歳没) [2]
父ブレイヴェストローマン[1]
母ホワイトナルビー[1]
母の父シルバーシャーク[1]
生国 日本(北海道三石町)[1]
生産者稲葉牧場[1]
馬主小栗孝一[1]
調教師鷲見昌勇(笠松)[3]
→瀬戸口勉(栗東)[1]
厩務員竹邑行生(瀬戸口)[4]
競走成績
タイトルNAR 特別表彰馬(2015年)[1]
生涯成績15戦7勝[1]
獲得賞金1億4772万3000円[1]
勝ち鞍
オグリローマン(欧字名:Oguri Roman、1991年5月20日 - 2015年3月3日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。
史上初となる地方競馬出身の桜花賞(GI)優勝馬、史上6頭目となる地方競馬出身のクラシック優勝馬である。1993年に、地方競馬の笠松競馬からデビューして公営重賞を4勝。翌1994年に中央競馬に移籍し桜花賞を戴冠した。
同じように笠松でデビューし、地方競馬で10勝した後、中央競馬で12勝、GI競走4勝。望外の成り上がりでクラシック出走に必要な登録がなされておらず、4歳は裏街道を進んだ後、競馬ブームを牽引する存在に成り上がったオグリキャップ(父:ダンシングキャップ)の半妹である。兄の果たせなかったクラシック出走と戴冠を果たした。
また、中央競馬での躍進を前にオグリキャップを手放してから、中央競馬の馬主資格を取得し、オグリキャップにできなかったクラシック出走に必要な登録を用意した小栗孝一にも、クラシック出走と戴冠で応えた。
生涯
デビューまで
誕生までの経緯詳細は「オグリキャップ」および「ホワイトナルビー」を参照
ホワイトナルビーは、父シルバーシャークの牝馬である。生産した牧場は、笠松競馬場で厩舎を営む鷲見昌勇の仲介で、馬主である小栗孝一に売却していた[5]。価格は600万円、将来的に繁殖牝馬となった際に、200万円で買い戻す約束をしており、実質400万円での売却だった[5]。鷲見の管理、小栗の所有のもと、笠松で走ったホワイトナルビーは8戦4勝。4歳でヒザ割れをきたして早々と競走馬を引退していた[5]。引退後は、約束通り、生まれ故郷で繁殖牝馬となるはずだったが、牧場が買い上げを拒否する。結局、小栗の所有のまま北海道三石町の稲葉牧場で繁殖牝馬となっていた[5]。オグリキャップ
1979年から初仔を産み、1985年には6番仔である父ダンシングキャップの牡馬を産んでいた。その6番仔は「オグリキャップ」と命名されて、笠松競馬、鷲見厩舎からデビューする。3歳5月にデビューし4歳1月まで、ジュニアクラウンやジュニアグランプリなど笠松の重賞をはじめ、東海地区の重賞を勝ち続けて12戦10勝という成績を残した。
4歳春を前に、オグリキャップは、地方競馬を飛び出し、中央競馬に移籍する。中央競馬の馬主登録がなかった小栗は、所有権を佐橋五十雄に売却[6]。また鷲見の手から離れ、栗東トレーニングセンターの瀬戸口勉厩舎に転厩した。移籍初戦、3月のペガサスステークスを優勝し、中央競馬重賞初勝利。芝の重賞勝利でクラシック戦線に加わる資格を得ていた。しかし小栗は、クラシックはおろか、中央競馬に参戦することなど考えておらず、3歳時に必要なクラシック登録をしていなかった[7]。すなわち実力、実績十分にもかかわらず、クラシック参戦は叶わなかった。
クラシックではない「裏街道」を進むことになったオグリキャップは、そこから連戦連勝する。秋の毎日王冠では、年上の東京優駿優勝馬シリウスシンボリを下し、笠松時代と併せて14連勝、中央重賞6連勝を果たしていた。4歳ながら臨んだ天皇賞(秋)では、タマモクロスに後れを取ったが、暮れの有馬記念で下して優勝を果たした。古馬となっても中央で走り、1990年暮れに引退するまでGIを4勝。人気も上昇し、アイドルホースとして競馬ブームを牽引する存在まで成り上がっていた。
オグリキャップを産んだ後のホワイトナルビーは、1990年までに11番仔までを儲ける。