オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件
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オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件
爆発で破壊されたオクラホマシティ連邦政府ビル
場所オクラホマ州オクラホマシティ
アルフレッド・P・マラー連邦ビル
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度28分22.4秒 西経97度31分01秒 / 北緯35.472889度 西経97.51694度 / 35.472889; -97.51694座標: 北緯35度28分22.4秒 西経97度31分01秒 / 北緯35.472889度 西経97.51694度 / 35.472889; -97.51694
日付1995年4月19日
9時2分 (中部標準時)
標的アルフレッド・P・マラー連邦ビル
兵器車爆弾
死亡者168人
負傷者約850人以上
犯人ティモシー・マクベイ
テリー・ニコルズ
マイケル・フォティア
対処死刑
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オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件(オクラホマシティれんぽうせいふビルばくはじけん、アメリカ英語: Oklahoma City bombing)とは、1995年4月19日アメリカ合衆国オクラホマ州の州都オクラホマシティで発生した爆破テロ事件である。

元陸軍兵士のティモシー・マクベイらが、車爆弾でオクラホマシティ連邦地方庁舎を爆破し、子供19人を含む168人が死亡、800人以上が負傷した。2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件が発生するまでは、アメリカ国内で最悪の犠牲者が出た事件であった。
事件の概要

事件は、1995年4月19日中部標準時午前9時2分に発生した。9階建のオクラホマシティ連邦地方庁舎「アルフレッド・P・マラー連邦ビル」の正面玄関前に駐車していた、大量の爆発物を積んだトラックが爆発した。爆発の規模はマグニチュード3.2相当と測定されている[1]。これにより、連邦ビルは全体のおよそ80%が破壊された。

事件発生当初、犯行声明などが無かったため、犯行はネオナチイスラム過激派によるものだと推測されたが、アメリカ国籍の白人であるティモシー・マクベイとその軍隊時代の同僚テリー・ニコルズらが逮捕された[2]犯人がかつてはアメリカ陸軍所属で、湾岸戦争にも参戦した経験のあるアメリカ人であった事は、アメリカ中に衝撃を与えた。

陸軍退役後の販売や警備員などをしていた首謀者のマクベイは、アメリカ合衆国連邦政府への強い敵意を抱くようになり[2][3]白人至上主義キリスト教原理主義の影響を受けた武装民兵組織「ミシガン民兵」などとも関係があったとされる[4][5]。事件を起こした4月19日は、2年前に武装カルト教団ブランチ・ダビディアンの信者80名以上がFBIとの銃撃戦で死亡した日であり、マクベイはこれをアメリカ合衆国連邦政府の横暴であるとし、連邦ビル爆破はその復讐であるとした[2]
救助

爆破直後、救急隊レスキュー隊のみならず周辺の住民もこぞって救助活動に参加し、充分な装備もないまま瓦礫の中を歩いたことで多数の負傷者が発生するという二次災害にも見舞われた。

事件後ビルの跡地は整備され慰霊公園が作られ、そこには犠牲者の氏名とともに救助活動に尽力した人々の名前も刻まれた。
裁判とその後

爆発したトラックからマクベイが降りるのを目撃した人物はいなかったが、検察側はマクベイがトラックをレンタルした際の領収書などの物的証拠のほか、マクベイが爆弾の材料を入手するのを目にした者や、彼の計画を聞いたという友人たちの証言を得ていた[6]弁護側は、身元不詳の男が真犯人であることを示す証拠を提出しようとしたが、検察側はマクベイが爆破犯人であることを立証するのに成功し、1997年に有罪判決が下された[6]アメリカ合衆国国務省は、本裁判において、陪審員の気を引くために、事件で死亡した幼い子供の最期の様子から話し始めた検察官ジョゼフ・ハーツラーの冒頭陳述は、最も優れたもののひとつであると評価している[6]

1993年の貿易センタービル駐車場爆破事件(6名死亡)と本事件の発生を受け、ビル・クリントン政権は1996年に、アメリカ市民以外の被疑者の場合は本人・弁護士に知らせない秘密証拠によって国外退去処分にでき、アメリカ市民であっても反米組織を援助した者は、10年の刑に問われる反テロリズム法を制定した[7]

その後、主犯のマクベイは、2001年6月11日薬物による死刑が執行された。この模様は監視カメラ(CCTV)を通して、被害者遺族に公開されたため論議を呼んだ。この時の裁判の裁判長は「これで枕を高くして眠れるでしょう。法がきちんと機能したのですから」と裁判後のインタビューで述べた。
余談

事件発生直後、オクラホマシティ周辺に居たアラブ系アメリカ人を含む中東系の人物約数十人が、一時警察に身柄を拘束された(大半が数時間以内に釈放)。

爆発物満載の車爆弾で、連邦政府の建物が爆破される様子や、事件とは無関係なイスラム教ムスリムが、不当な捜査の対象にされる様子など、この時の状況は1998年公開の映画マーシャル・ロー』においてインスパイアされている。また1999年映画隣人は静かに笑う』も、本事件をモチーフの一つとしている。

SF作家テリー・ビッスン1999年、本事件の犠牲者遺族が報復用に、主犯マクベイのクローンを受け取るという内容の短編「マックたち」(ハヤカワ文庫SF『90年代SF傑作選(下)』所収)を発表、ネビュラ賞ローカス賞を受賞している。


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