オクティヴィア・E・バトラー
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オクティヴィア・エステル・バトラー
自著 Fledgling にサインするバトラー
誕生 (1947-06-22) 1947年6月22日
アメリカ合衆国カリフォルニア州パサデナ
死没 (2006-02-24) 2006年2月24日(58歳没)
アメリカ合衆国シアトル
職業小説家
国籍 アメリカ合衆国
活動期間1970年代 ? 2000年代
ジャンルサイエンス・フィクション
主な受賞歴ヒューゴー賞ネビュラ賞ローカス賞
デビュー作Crossover (1971)
影響を受けたもの

ハーラン・エリスンサミュエル・R・ディレイニートニ・モリスン

公式サイト ⇒http://www.sfwa.org/members/butler/Index.html
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オクティヴィア・エステル・バトラー(英語: Octavia Estelle Butler、1947年6月22日 - 2006年2月24日)はアメリカ合衆国SF作家

SF作家としては珍しいアフリカ系アメリカ人かつ女性であり、その民族的、性別的視点はユニークなものであると評されている[1]。1995年、SF作家として初めてマッカーサー基金から「天才賞」マッカーサー・フェローを授与された[2]
生涯

カリフォルニア州パサデナで生まれ育った。5人目の子供として生まれ、しかし4人の兄は早くに亡くなり[3]、また靴磨きだった父も彼女が赤ん坊のころに喪い、祖母と女中をして稼ぐ母に育てられた。様々な人種が入り混じった地区で、苦労して成長した[4]。Norton Anthology of African American Literature によれば、バトラーは「厳格なバプテスト派の家族の中の唯一の子供で内省的」で「早くから Amazing、Fantasy and Science Fiction、Galaxy といった雑誌に惹きつけられ、SFの古典を読み漁るようになった」[5]

オクティヴィア(母も同名だったため、ジュニアを意味するジュニー (Junie) と呼ばれていた)は内向的な夢想家で、後にディスレクシアと診断された。10歳で母を説き伏せタイプライターを購入して貰い[3]、「寂しさと退屈をまぎらすため」に書き始め、12歳で生涯を捧げることになるSFに目覚めた[6]。Black Scholar 誌でバトラーは「私は自作の短い物語を書いていた。12歳のとき、ひどいSF映画 Devil Girl from Mars を見ていて、これより良いストーリーを書けると思った。だからテレビを消して、書いてみた。それ以来ずっとSFを書いている」と書いている[7]。またSFにのめり込んだ理由として、それが最も自由に創造性を発揮出来るからと述べている[1]

パサデナ・シティカレッジで1968年に準学士を取得後[8]、1969年カリフォルニア州立大学ロスアンゼルス校に進み、さらに当時シオドア・スタージョンハーラン・エリスンが教授を務めていたUCLAでライティング・コースを受講した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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