オオトモヨシヤス
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大友 康匠
本名大友 義康
生誕
1934年1月14日
死没 (1995-01-16) 1995年1月16日(61歳没)
国籍 日本
職業絵本作家漫画家
ジャンル絵本漫画
代表作『マリちゃん』シリーズ
『黒い太陽』
ノンタン』シリーズ
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大友 康匠(おおとも やすおみ、1934年1月14日 - 1995年1月16日)は、日本の絵本作家漫画家である[1]。本名は大友 義康(おおとも よしやす)、漫画家時代は本名のほか、大友 よしやす、おおとも よしやす、大友 ヨシヤス、オオトモ ヨシヤスとも名乗り、絵本作家時代は、おおとも やすおみ、オオトモ ヤスオミとも名乗った[1][2]。「康臣」は表記の誤り[1][2]少女マンガ時代の『マリちゃん』シリーズ、絵本作家時代の『ノンタン』シリーズで知られる[1][2]
人物・来歴

1934年(昭和9年)1月14日神奈川県横浜市に生まれる[1][3]

掲載号は不明であるが、1948年(昭和23年)12月 - 1951年(昭和26年)3月の期間に発行されていた『東光少年』(東光出版社)の「読者投稿漫画」に、十代の少年時代の大友が執筆して投稿した『ウサギミミスケ』が掲載され、金賞を獲得している[3]。その後、中村書店で戦前に「ナカムラマンガシリーズ」を立ち上げた漫画家の大城のぼるに弟子入りする。

満19歳となった1953年(昭和28年)6月ころから、漫画家としてのキャリアを始めたとされるが[1]国立国会図書館蔵書によれば、満17歳を迎える1951年(昭和26年)には、中村書店から『珍宝島探険』(共著大城のぼる)や『アベコベ猛獣狩り』といった漫画をすでに出している[2]。1952年(昭和27年)には、鶴書房から『フリード王子』等を上梓し、1954年(昭和29年)には、東京漫画出版社から、ギリシア神話ゴルゴーン」を主題にした名作漫画文庫22『ゴルゴンの首』等を出版している[2]。また、講談社の『少女クラブ』、『少年クラブ』にも漫画を掲載している[2]。1958年(昭和33年)には、『マリちゃん』シリーズをまとめた「オオトモヨシヤス選集」全3巻を中村書店から刊行している[2]。同年、東映動画(現在の東映アニメーション)が製作した長篇アニメーション『白蛇伝』のコミカライズを大友が手がけており、中村書店から出版された同作の表紙・裏表紙には、同映画作品のスチル写真が使用されている[4]

1950年代末の時代、永田竹丸らとともに、豊島区椎名町(現在の同区南長崎)のトキワ荘に出入りしていたという[5]横山光輝とそのアシスタントだった岸本修と交流があり、1957年(昭和32年)5月、横山が『冒険王』5月号付録『闇におどる猫』に横山自身が自殺する話を描いた際、岸本とともに作品に登場している[6]

1962年(昭和37年) - 1964年(昭和39年)の時期に病気で入院し、その後の活動ペースは落ちたという[1]。同門の漫画家・棚下照生のアシスタントをしていた[1][7][8] 1969年(昭和44年)ころ、清野幸子(のちのキヨノサチコ、1947年 - 2008年)に漫画の指導を始め、1970年(昭和45年)4月30日、清野と結婚する[1]。結婚後はアシスタントを退職、『たのしい幼稚園』(講談社)の学習もののカットを受注して描いていた[1]

1975年(昭和50年)4月 - 5月ころ、清野と共同で偕成社に子ギツネを主人公とした絵本『あかんべきつね』の企画を持ち込み、それが子ねこの「ノンタン」に変更になり、1976年(昭和51年)8月に『ノンタンぶらんこのせて』および『ノンタンおやすみなさい』、同年10月には、原案企画をもとにした『あかんベノンタン』が刊行された[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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