オウム真理教の国家転覆計画
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オウム真理教の国家転覆計画(オウムしんりきょうのこっかてんぷくけいかく)では、オウム真理教が企てたクーデター武力革命世界征服計画について解説する。
概要

オウム真理教の教祖麻原彰晃は、盲学校時代に「ロボット帝国をつくりたい」[1] と語ったり、1985年昭和60年)には「アビラケツノミコト(神軍を率いる光の命)になれ」と啓示を受けたと述べる[2] などかねてから武力への傾倒があったとされる。まだ「オウム神仙の会」であった1986年(昭和61年)にはすでに「武力と超能力を使って国家を転覆することも計画している。その時は、フリーメイソンと戦うことになるだろう」などと語っていたという[3]

「オウム真理教」に改組した1987年(昭和62年)から1988年(昭和63年)頃には、「クンダリニーヨーガにおいては、グル、グル、グル、グル、グル、グル、あー、グル、グル、グル、グル。(略)グルのためだったら、殺しだってやるよと。こういうタイプの人はね、クンダリニーヨーガに向いている[4]」「チベット密教というのは非常に荒っぽい宗教で、(略)『お前はあの盗賊を殺してこい。』と言われ、やっぱり殺しているからね。(略)例えばグルがそれを殺せと言うときは、例えば相手はもう死ぬ時期に来てる。そして、弟子に殺させることによって、その相手をポアさせるというね、一番いい時期に殺させるわけだね[5]

他にも「今やヨハネの黙示録の封印を解くべき時が来た」「力で良い世界をつくる。これこそ、タントラ・ヴァジラヤーナの世界だ。シヴァ神は、シヴァ神への強い信仰を持ち続けたタントラ修行者が、諸国民を支配することを望んでいらっしゃるんだ」などと武力による救済を主張。

1988年1月、教団発足間もない時期のテープには麻原の「破壊願望」が刻まれていた。当時、表向きの説法では「核戦争を回避して世界を救済するためには、『隣人への愛』こそが必要である」と説いていたが、テープには、ごく一部の側近たちと交わした会話が偶然収録されていた[6]。幹部:今生で救済の成功って言うのは核戦争の回避なんですか?

麻原:違う。今生で救済の成功は核戦争を起こさせないことではない。
……変なこというぞ、
資本主義社会主義を潰して、しゅ…、宗教的な国を作ることだ。本当の意味で…。この世をもう一回清算すべきだ…。

幹部:(核戦争が)起きた時点でやっぱり今のオウムのスタッフはみんな一度死にます?麻原:いや、ほとんど死なないと思うね。私はオウム以外は生き残れないからと考えているから。

1988年9月在家信者死亡事件の発生により麻原はヴァジラヤーナに入る時が来たと認識した[5]1989年平成元年)2月男性信者殺害事件の際にも「私は、救済の道を歩いている。多くの人の救済のために、悪業を積むことによって地獄に至っても本望である」と犯罪を肯定する発言をしている[7]。そして同年、サンデー毎日の「オウム真理教の狂気」特集がスタートし、当時せいぜい数千人程度の教団を7週連続で批判されたことにより、麻原は教団が社会に弾圧されているという被害妄想を抱いた[8]

特に1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙真理党が惨敗してからはその傾向を強め、「今回の選挙の結果は、はっきり言って惨敗、で、何が惨敗なのかというと、それは社会に負けたと。(略)つまり、国家に負けたと」[9]、「オウムは反社会、反国家である。どぶ川のなかで美しく咲く蓮華のようにあり続けるためには、反社会でなければならない。よって、国家、警察、マスコミこれすべてこれからも敵にまわってくる」[10]、「今の世の中はマハーヤーナでは救済できないことが分かったのでこれからはヴァジラヤーナでいく」[7]、「この人類を救えるのはヴァジラヤーナしかない、今の人類はポアするしかない」[11] といった発言を行った。

1993年(平成5年)から1994年(平成6年)にかけてオウムはサリンVXを実用化、「もうこれからはテロしかない」[12]、「すべての魂をポアするぞ」[13]、「神々の世界に行くためにはポアしまくるしかない」[5] として、松本サリン事件などこれらを利用したテロを相次いで実行した。


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