エーリヒ・レーダー
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エーリヒ・レーダー
Erich Raeder
レーダーの肖像写真 (1940年)
生誕1876年4月24日
ドイツ帝国
自由ハンザ都市ハンブルク
死没 (1960-11-06) 1960年11月6日(84歳没)
西ドイツ
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 キール
所属組織 ドイツ帝国海軍
ヴァイマル共和国海軍(Reichsmarine)
ドイツ海軍
軍歴1897年 ? 1943年
最終階級 海軍元帥
(海軍大提督)
除隊後戦争犯罪人
ニュルンベルク裁判
被告人
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エーリヒ・レーダーErich Raeder
所属政党 国家社会主義ドイツ労働者党
(1937年入党)
ドイツ海軍
海軍監察総監
内閣ヒトラー内閣
在任期間1943年1月30日 - 1945年9月2日
総統
大統領アドルフ・ヒトラー
カール・デーニッツ
ドイツ国
内閣枢密院顧問官
内閣ヒトラー内閣
在任期間1939年2月4日 - 1945年4月30日
総統アドルフ・ヒトラー
ドイツ海軍
初代 海軍総司令官
内閣ヒトラー内閣
在任期間1935年6月1日 - 1943年1月30日
総統アドルフ・ヒトラー
ヴァイマル共和国海軍
第3代海軍統帥部長官
内閣第二次ミュラー内閣
ブリューニング内閣
フォン・パーペン内閣
フォン・シュライヒャー内閣
ヒトラー内閣
在任期間1928年10月1日 - 1935年6月1日
大統領
総統パウル・フォン・ヒンデンブルク
アドルフ・ヒトラー
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エーリヒ・ヨーハン・アルベルト・レーダー(ドイツ語 : Erich Johann Albert Raeder、1876年4月24日 - 1960年11月6日)は、ドイツ海軍軍人ドイツ国防軍海軍総司令官を務めた。最終階級は海軍元帥(大提督、Grosadmiral)。

第一次世界大戦ではユトランド沖海戦など主要な作戦に参加、戦間期には海軍再建に尽力、第二次世界大戦では海軍総司令官としてドイツ海軍を指揮した。騎士鉄十字章受章。
生涯
帝政ドイツ海軍

1876年4月24日、レーダーはハンブルクのヴァンツベック(de:Hamburg-Wandsbek)で学校長の息子として生まれた。1894年4月、海軍兵学校に入校。練習船「シュトッシュ (Stosch)」、次いで「グナイゼナウ (Gneisenau)」で基礎訓練を積んだ後、1897年10月25日海軍少尉に任官。1900年4月9日、海軍中尉に昇進。1903年10月1日、海軍大学に入校。1905年3月21日、海軍大尉に昇進。

1906年4月1日、レーダーは海軍本部 (Reichsmarineamt) の通信部門に異動した。1908年から海上勤務に戻り、装甲巡洋艦ローン級ヨルク (York) 」の航海長を務める。1910年9月15日、皇帝ヴィルヘルム2世の御召ヨット 「ホーエンツォレルン」へ異動。同在任中1911年4月15日、海軍少佐に昇進。1912年10月1日、大洋艦隊 (Hochseeflotte) の偵察艦隊(巡洋戦艦隊)司令官フランツ・フォン・ヒッパーの参謀長に就任した。

1914年の第一次世界大戦開戦時、レーダーはヒッパーの下で、1915年1月24日のドッガー・バンク海戦、1916年5月31日のユトランド沖海戦、主要な作戦に参加した。1917年4月26日、海軍中佐に昇進した。

1918年1月17日、レーダーは軽巡洋艦ケルン級「ケルン (Koln)」 の艦長に異動し大佐に昇進した。しかし、戦闘に加わることはなかった。1918年10月、海軍本部の管理部門に異動、1918年11月、ドイツ革命が勃発し、ヴァイマル共和国が成立、第一次世界大戦は終結した。
戦間期

戦後もレーダーは海軍本部の管理部門に残った。1919年11月29日、海軍大佐に昇進。1920年3月、ヴァイマル政府の転覆を目的としたカップ一揆が勃発した。陸軍将兵が反乱の中心であったが、海軍の将兵も参加していたため、鎮圧後に海軍へも追及が及んだ。アドルフ・フォン・トロータ海軍中将を始めとして多数の将校が逮捕された。レーダーは逮捕こそ免れたが、トロータとの関係が疑われ、1920年6月1日に戦史編纂課長へ左遷された。レーダーはこの機会に古今の戦史や政治経済を学んだ。1922年に研究成果として、自身も関わった第一次世界大戦における巡洋艦の戦史『海戦 1914年 - 1918年 (Der Krieg zur See 1914 - 1918) 』を出版した。海軍統帥部長官就任直後のレーダー(1928年)

1922年6月20日、レーダーは海軍統帥部の本流である教育局監査官に返り咲いた。1922年8月1日、海軍少将に昇進。1924年9月19日、北海軽艦隊司令官に就任した。1925年9月10日、海軍中将に昇進。1925年10月1日、バルト海司令官に就任。1928年10月1日、海軍大将への昇進と同時に海軍統帥部長官 (Chef der Marineleitung der Reichswehr) に就任した。実権を握ったレーダーは海軍の再建を推進していった。ヴェルサイユ条約によってドイツ海軍の軍備は大きく制限されていたが、ポケット戦艦の開発など、戦力差を埋めるよう努力した。

1933年1月30日、アドルフ・ヒトラーが首相に就任した。ヒトラーは当初から再軍備を考えていたため、レーダーにヴェルサイユ条約軍事条項破棄を前提として以降の建艦計画を立てるよう命じた。1935年3月16日、ヒトラーは再軍備を宣言した。これによってレーダーは新生ドイツ海軍総司令官 (Oberbefehlshaber der Kriegsmarine) に任命された。1936年4月20日、レーダーは海軍上級大将に昇進した。これはレーダーの60歳の誕生日を前にヒトラーが送ったプレゼントだった。

1938年、レーダーは今後6年間で、イギリス海上兵力に対抗できる艦隊を創設するというZ計画を提示した。計画の概要は以下のとおりである。

戦艦10隻 - H級戦艦 (55,000t) 6隻。ビスマルク級戦艦(42,000t)2隻が着工済み。


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