東ドイツの政治家エーリッヒ・ミールケErich Mielke
(1976年)
生年月日 (1907-12-28) 1907年12月28日
出生地 ドイツ帝国
プロイセン王国・ベルリン
没年月日 (2000-05-21) 2000年5月21日(92歳没)
死没地 ドイツ
ベルリン
所属政党ドイツ共産党(1925-1946)
ドイツ社会主義統一党(1946-1989)
称号祖国功労勲章金メダル
カール・マルクス勲章
ドイツ民主共和国英雄
労働者英雄
ドイツ社会主義統一党
政治局員
在任期間1976年 - 1989年
最高指導者エーリッヒ・ホーネッカー
ドイツ民主共和国
人民議会議員
在任期間1958年 - 1989年
ドイツ民主共和国
第3代 国家保安大臣
内閣オットー・グローテヴォール内閣
第一次ヴィリー・シュトフ内閣
ホルスト・ジンダーマン内閣
第二次ヴィリー・シュトフ内閣
在任期間1957年12月11日 - 1989年10月18日
大統領
国家評議会議長ヴィルヘルム・ピーク
ヨハネス・ディークマン
エーリッヒ・ミールケ
Erich Mielke
所属組織 国家人民軍
軍歴1980年 - 1989年
最終階級 上級大将
除隊後冷戦犯罪者
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エーリッヒ・フリッツ・エミール・ミールケ(Erich Fritz Emil Mielke、1907年12月28日 - 2000年5月21日)は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の政治家。秘密警察・諜報機関を管轄する国家保安大臣を長年に亘って務めた(1957年10月31日 - 1989年11月3日)。最終階級は上級大将[1]。 ベルリン生まれ。両親は1918年に設立されたドイツ共産党の設立メンバーだった。ミールケ自身は1921年にドイツ青年共産団に入団した。 小売業の徒弟をする傍ら1925年にはドイツ共産党に入党し、党機関紙『赤旗 (Rote Fahne) 』の記者として働き始めた。同時期にドイツ共産党の私兵集団である「赤色戦線戦士同盟(Roter Frontkampferbund)」にも加入している。これはナチ党の突撃隊に相当するドイツ共産党の警備部隊である。 1931年、ベルリンでデモ行進時に2人の警察官を殺害し、ベルギーに逃亡。更にソビエト連邦に亡命した。ここでミールケは高く評価され、コミンテルン学校に入校した。 1936年、ミールケは「フリッツ・ライスナー」の偽名で内戦中のスペインに国際旅団の一員として派遣された。大尉として旅団を指揮する一方、政治将校として部隊内の反スターリン主義者粛清に従事した。フランコ軍の勝利後、他の国際旅団の義勇兵と共にドイツ系ラトビア人「リヒャルト・ヘーベル」としてフランスやベルギーに潜伏し、第二次世界大戦中にフランスがドイツに降伏した後はレジスタンスに協力し、逮捕されラトビア人として強制労働に従事していたとも言われる。
来歴・人物
共産党員