エーリッヒ・フォン・マンシュタイン
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エーリッヒ・フォン・マンシュタイン
Erich von Manstein
少将時代のマンシュタイン(1938年)
渾名「ドイツ陸軍最高の頭脳」
生誕1887年11月24日
ドイツ帝国
プロイセン王国
ベルリン
死没 (1973-06-10) 1973年6月10日(85歳没)
西ドイツ
バイエルン自由州
イルシェンハウゼン
所属組織 ドイツ帝国陸軍
ヴァイマル共和国陸軍 (Reichsheer)
ドイツ国防軍陸軍 (Heer)
軍歴1906年 - 1944年
最終階級 陸軍元帥
除隊後戦犯として服役
西ドイツ国家防衛委員会顧問
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フリッツ・エーリッヒ・フォン・レヴィンスキー・ゲナント・フォン・マンシュタイン(Fritz Erich von Lewinski genannt von Manstein、1887年11月24日 - 1973年6月10日)は、ドイツ陸軍軍人貴族。最終階級は陸軍元帥

第二次世界大戦で活躍した将帥たちの中でもとりわけ有能な将帥として知られる[1][2]。彼は西方電撃戦の立案者であり、後にクリミア半島レニングラード攻撃を指揮し、その後、スターリングラード攻防戦後に優位に立った赤軍の攻勢を食い止め、第三次ハリコフ攻防戦でハリコフを陥落させた。これは緒戦におけるキエフ包囲戦に並び、東部戦線におけるドイツの最も大きな勝利の1つである。

彼は最高指導者であるヒトラーの決定に逆らわなかったが、対案を具申し、ヒトラーに対してはっきりと意見を開陳する数少ない将軍の1人だった。その名将ぶりは戦時中のアメリカでも知られ、「タイム」でも醜悪な顔に描かれることなく毅然とした顔で表紙を飾り、「我らの最も恐るべき敵」と評された[3][4]
生涯
生い立ち

ドイツ帝国領邦プロイセン王国首都ベルリンにエドゥアルト・フォン・レヴィンスキー(de)砲兵大将 (1829年 - 1906年)とその妻ヘレーネ(旧姓フォン・シュペルリンク(von Sperling))(1847年 - 1910年)の間の第10子フリッツ・エーリッヒ・フォン・レヴィンスキー(Fritz Erich von Lewinski)として生まれた[5]。父のフォン・レヴィンスキー家(de)も母のフォン・シュペルリンク家もプロイセン貴族であり、代々軍人の家系である[6]

母の妹ヘートヴィヒ・フォン・シュペルリンク(Hedwig von Sperling)(1852年 - 1925年)はゲオルク・フォン・マンシュタイン(Georg von Manstein)中将(1844年 - 1913年)と結婚していたが、彼らには子供がなく、エーリヒは生まれる前から彼らの養子になることが決められていた[7]。これによって彼の姓は「フォン・レヴィンスキー・ゲナント(公称は)・フォン・マンシュタイン」という二重姓になる[7]。エーリヒが生まれた時、レヴィンスキー大将はマンシュタイン中将に「本日、君は元気な男の子を得た。母親と子供は元気だ。おめでとう」との電報を送った[7]。マンシュタイン家は14世紀に皇帝による叙爵制度が誕生する前から貴族だったプロイセン古貴族と呼ばれる家柄であり、17世紀のフリードリヒ・ヴィルヘルム大選帝侯の時代から代々軍人の家系だった[7]

このような名門軍人家系の出自に加え、彼の母の妹ゲルトルート・フォン・シュペルリンク(Gertrud von Sperling)はヒンデンブルク元帥の妻という縁故があった[6][8]。従ってマンシュタインの軍における出世は誕生時から保証されていた。

生まれはベルリンだが、育ちはベルリンではない。マンシュタインの父は軍人であったため、父の配属先にしたがってドイツ各地を転々とすることになったのである[9]。1896年から1900年まで父の転勤先であるシュトラスブルク(当時プロイセン領。現フランスストラスブール)の小学校に通っている[7][10]
プロイセン軍人

1900年に13歳でプレン(de)の陸軍幼年学校に入学。ついでベルリン・リヒターフェルデのプロイセン陸軍士官学校に入学した[11][12]。1905年のヴィルヘルム皇太子結婚式に際してはロシアウラジーミル大公[要曖昧さ回避]女の小姓を務め、その翌年の皇帝ヴィルヘルム2世夫妻の銀婚式にも出席を許されている[13]

1906年3月、プロイセン陸軍(de)のエリート部隊である第3近衛歩兵連隊(de)に士官候補生として入営[5][12][13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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