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エーリッヒ・ケストナー
Erich Kastner
エーリッヒ・ケストナー(1961年)
誕生1899年2月23日
ドイツ帝国、ドレスデン
死没 (1974-07-29) 1974年7月29日(75歳没)
西ドイツ、ミュンヘン
職業小説家、詩人
国籍 ドイツ
ジャンル児童文学
文学活動廃墟文学(Trummerliteratur
エーリッヒ・ケストナー(Erich Kastner、 1899年2月23日 - 1974年7月29日)はドイツの詩人・作家である。
生涯ドレスデンの記念館にあるケストナーのブロンズ像
ドレスデンのノイシュタットに生まれた。父エミール・ケストナーは鞄作りの手工業者だったが、産業工業化のあおりを受けて、工業労働者になり、母親イーダ(旧姓アウグスティーン)は夫の少ない労働賃金を補うため、理容師になる(『わたしが子どもだったころ』に詳細)。本当の父親はユダヤ人の主治医エミール・ツィンマーマン (Emil Zimmermann (1864?1953)) 博士で、母イーダとツィンマーマンという医者との間に生まれた不倫の子供であった、と言われているがケストナー本人はそれについて言及しておらず、また、その根拠の大多数が伝聞であることから、いまだ結論は出ていない。
教師になろうとして、教師を養成する専門のギムナジウム(中高一貫教育校)に入学。第一次世界大戦に兵士として召集される。命令と服従という関係しかなかった学校、軍隊に反発を感じ、大学進学を決める。ライプツィヒで学業の傍ら、新聞の編集委員をしながら、詩や、舞台批評を発表。空前のインフレの影響もあり、苦労して大学を卒業した後、ベルリンに出て詩人として認められた。