エーバーバッハ
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:バーデン=ヴュルテンベルク州
行政管区:カールスルーエ行政管区
郡:ライン=ネッカー郡
市町村連合体:エーバーバッハ行政共同体
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度27分51秒 東経08度59分10秒 / 北緯49.46417度 東経8.98611度 / 49.46417; 8.98611座標: 北緯49度27分51秒 東経08度59分10秒 / 北緯49.46417度 東経8.98611度 / 49.46417; 8.98611
標高:海抜 134 m
面積:81.15 km2
人口:

14,313人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:176 人/km2
郵便番号:69412, 64754, 69429, 69434
市外局番:06271, 06263, 06272, 06276
ナンバープレート:HD
自治体コード:

08 2 26 013
行政庁舎の住所:Leopoldsplatz 1
69412 Eberbach
ウェブサイト:www.eberbach.de
首長:ペーター・ライヒェルト (Peter Reichert)
郡内の位置

地図

エーバーバッハ (ドイツ語: Eberbach, ドイツ語発音: [?e?b?bax][2]) は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州ライン=ネッカー郡に属し、ハイデルベルクの東33kmに位置する都市である。
地理
位置

エーバーバッハは、ネッカー渓谷が広がった部分、標高626mのオーデンヴァルト最高峰カッツェンブッケル山の麓に位置する。この都市は、ネッカータール=オーデンヴァルト自然公園に属し、古城街道沿いに位置している。
市の構成

エーバーバッハ市には、ネッカーヴィンマースバッハ、ブロムバッハ、フリードリヒスドルフ、リンダッハ、ロッケナウ、イーゲルスバッハ、ガイミューレ、ウンターディールバッハ、バーディシュ・シェレンバッハ、プロイタースバッハの各市区が属す。

中核地区および大部分の市区がネッカー川の北側に分布する。ネッカーヴィンマースバッハ区(以前は単にヴィンマースバッハという地名であったが、ヴァルトヴィンマースバッハ(ロプバッハの地区)と区別するために現在の名になった)、ロッケナウ区およびプロイタースバッハ区は、ネッカー川の南側、いわゆる小オーデンヴァルトに位置する。ネッカーヴィンマースバッハ区は、中核地区とネッカー川を挟んで真向かいにあり、1899年にネッカー川をまたいで両地区を結ぶ橋が建設され、これにより、元々高台にあった歴史的中核地区は事実上、その重要性を喪失した。

イーゲルスバッハにはヘッセン州との州境が通っている。その北東側がエーバーバッハに属す「バーデンのイーゲルスバッハ」であり、南西側の「ヘッセンのイーゲルスバッハ」はヘッセン州のヒルシュホルンに属す。同様の状況は、シェレンバッハ地区にもあり、その大部分はヘッセン州のヘッセネックに属する。
歴史

エーバーバッハの領主貴族家は、1196年に初めて記録されている。中世盛期にはすでにヴォルムス司教領のエーバーバッハ城が築かれていた。この城は1227年に初めて記録されており、ハインリヒ7世の時にシュタウフェン家レーエンとされている。この村の都市への昇格は、おそらく彼の時代に遡る。1235年に城は帝国直轄の城となった。1321年に城の近くの都市について初めて記録が遺されている。1330年に城と都市はライン宮中伯に質入れされた。1361年には庇護権もライン宮中伯家のものとなり、16世紀になるまでにプファルツ選帝侯はこの帝国都市を獲得していた。1360年以降エーバーバッハにツェント(十分の一税徴収役場)があったことが証明されており、この都市の市長はプファルツ選帝侯の酒蔵管理局の官吏であった。1402年以後、城はハンス・フォン・ヒルシュホルンによって取り壊された。

1528年から1555年の間に、ハイデルベルクでペストが猛威を振るったため、ハイデルベルク大学は何度もエーバーバッハに避難している。プファルツ選帝侯領の一部として16世紀に宗教改革がなされ、17世紀に反宗教改革の影響により信仰の分裂状態となった。三十年戦争では、わずかな被害を受けただけであったが、それでももちろん住民は被害を受け、深刻な貧困に苦しめられた。住民は林業、木材加工業、漁業、水運業に携わるようになった。

エーバーバッハは、1803年にライニンゲン侯領となった。1806年にバーデン大公領となり、それから1924年まではベツィルクスアムト(地方行政区分)の所在地であった。1838年から郵便局が、1841年からベツィルクの営林署が、1857年からは区裁判所が置かれた。19世紀のネッカー渓谷は経済発展の第1段階にあった。1849年にネッカータール街道が整備され、1879年にネッカータール鉄道が開通し、同じ頃にネッカー川に鎖牽引式航行施設が設けられた。エーバーバッハのネッカー橋は1900年に完成した。この都市の人口は、1800年に2,400人であったが、1900年頃には6,000人にまで増加した。1899年にネッカーヴィンマースバッハが、1925年にはイーゲルスバッハのバーデン側が合併している。

ネッカー川の運河化の動きを承け、1930年頃に堰が設けられ、貨物の積み降ろし用港湾施設が建設された。1935年にはマンハイムハイルブロンの間に11の堰が完成し、ネッカー川の水上交通は発展した。第二次世界大戦では、旧市街部分が空爆によって破壊され、ネッカー橋も爆破された。この橋は、1946年5月にはすでに、ネッカー川最初の橋として再建されている。1959年にネッカー川沿いのバイパスが建設された。1973年1月1日にリンダッハとフリードリヒスドルフが合併し、12月31日にプロイタースバッハが合併した。ブロムバッハとロッケナウは1975年にこれに続いた。

市区はおおむね市の歴史と同じ経緯をたどった。中世にはすでにその記録があり、14世紀にプファルツ選帝侯領になり、1803年以後バーデン大公領となった。


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