エヴェリット・ロジャース
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エベレット・ロジャーズ人物情報
全名エベレット・ミッチェル・ロジャーズ
生誕 (1931-03-06)
1931年3月6日
アメリカ合衆国アイオワ州
死没 (2004-10-21) 2004年10月21日(73歳没)
アメリカ合衆国ニューメキシコ州
国籍 アメリカ合衆国
出身校アイオワ州立大学
学問
研究分野普及学社会学コミュニケーション学
研究機関ニューメキシコ大学
学位博士(社会学)
特筆すべき概念普及理論、採用者の分類、コミュニケーションの収斂モデル
主な業績Diffusion of Innovations, Communication Technology, A History of Communication Study
影響を受けた人物ウィルバー・シュラム
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エベレット・ロジャーズ(Everett M. Rogers, 1931年3月6日 ? 2004年10月21日)は、アメリカのコミュニケーション学者、社会学者。イノベーター理論の提唱者。米国ニューメキシコ大学(University of New Mexico)コミュニケーション・ジャーナリズム学科名誉特別教授(Distinguished Professor Emeritus)[1][2]
来歴

アメリカのアイオワ州キャロル市の農家に生まれる。1952年アイオワ州立大学(Iowa State University)農学部卒業(B.S.)。1952年から1954年までアメリカ空軍の士官として朝鮮戦争を体験した後、アイオワ州立大学大学院農村社会学(Rural Sociology)研究科に進学。1955年修士課程修了(M.S.)、1957年博士課程修了(Ph.D.)。博士論文のテーマは「A Conceptual Variable Analysis of Technological Change」で、指導教授はジョージ・M・ビール(George M. Beal)だった。[3]

1957年から1963年までオハイオ州立大学(Ohio State University)農村社会学科助教授、後に准教授。1962年アイオワ州立大学に提出した博士論文の第2章の先行研究の文献批評を大幅に改訂し、『Diffusion of Innovations』を出版する。[4] この著作でロジャーズは新しい概念、習慣、商品などが普及するプロセスを分析し、「イノベーター」「アーリーアドプター」「アーリーマジョリティ」「レイトマジョリティ」「ラガード」の層を定義することに成功した。[5][6]

『Diffusion of Innovations』は後に15か国語に翻訳され、1990年科学情報研究所(The Institute for Scientific Information)によって「引用古典(Citation Classic)」の指定を受ける。14万を超える出版物に引用され、社会科学の書籍としてはトーマス・クーンの『科学革命の構造』に次いで、世界で2番目に最も引用されている本となる。ロジャーズは、イノベーションを社会的に解説した普及学を確立した研究者として世界的に著名になった。なお、初版から第5版まで『Diffusion of Innovations』の編集責任者はロジャーズが最も信頼していたフリープレス(Free Press)社副社長のボブ・ワラス(Bob Wallace)だった。日本語版の監訳は異文化屈折理論で有名な慶応義塾大学教授の宇野善康が担当した。

1963年から1964年までフルブライト講師としてコロンビア国立大学(National University of Colombia)社会学科で教鞭をとる。この間の現地調査の結果を中心に『Modernization among Peasants: The Impact of Communication』(Holt, Rinehart & Winston, 1969年)を執筆する。その後、ミシガン州立大学(Michigan State University)コミュニケーション学科准教授、教授(1964年-1973年)、ミシガン大学(University of Michigan)ジャーナリズム学科教授(1973年-1975年)を務める。

1975年米国コミュニケーション学の父と言われるウィルバー・シュラム(Wilbur Schramm)の後任として、スタンフォード大学ジャネット・M・ペック・国際コミュニケーション特別教授(Janet M. Peck Professor of International Communication)及び同大学コミュニケーション研究所(Institute for Communication Research)国際コミュニケーション・プログラム主任に就任した。

スタンフォード大時代は開発コミュニケーション学の確立と発展に特に力を注ぎ、画期的な論文集『Communication and Development: Critical Perspectives』(Sage, 1976年)を編纂し、ロジャーズ自身も斬新な論文「Communication and Development: The Passing of the Dominant Paradigm」を発表した。シュラムが所長を務めたハワイの東西センター(East-West Center)東西コミュニケーション研究所(East-West Communication Institute)主催の開発コミュニケーション研究セミナーやワークショップでは中心的な役割を果たし、ダニエル・ラーナー(Daniel Lerner)やイシエル・デ・ソラ・プール(Ithiel de Sola Pool)などと共にこの学問分野の草分け的な存在となった。[7][8] また、スタンフォードの土地柄を視野に入れて、技術移転(technological transfer)の研究にも積極的に参画し、情報化社会における研究大学の役割についても再考するように提言した。[9][10]

1985年から南カリフォルニア大学コミュニケーション学部ウォルター・H・アネンバーグ特別教授(Walter H. Annenberg Professor)及び同大学大学院コミュニケーション学研究科長を務める。スタンフォード大学より招致するため、ウォルター・H・アネンバーグがロジャーズのために100万ドルの寄付をして特別教授のポストを用意した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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