エバンストン
City of Evanston
エバンストンの泉の広場
愛称 : E-タウン
位置
クック郡内の位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度2分47秒 西経87度41分41秒 / 北緯42.04639度 西経87.69472度 / 42.04639; -87.69472
エバンストン(英: Evanston)は、アメリカ合衆国イリノイ州のクック郡にある都市。人口は7万8110人(2020年)。シカゴの直ぐ北、ミシガン湖に面している。ノースウェスタン大学がある学園都市。 現在のエバンストンは1830年代に「グロスポイント領土」と呼ばれた大きな地域の一部だった。インディアンではないアメリカ人が最初に入植したのは1836年のことであり、1850年にはリッジビルと呼ばれていた[2]。1851年、メソジスト教徒のある集団がノースウェスタン大学を設立し、この地域を新しい拠点として選んだ。1854年、ノースウェスタン大学の設立者達はその指導者の一人であるジョン・エバンスに因んで、エバンストンと名付ける都市の計画を郡判事に提出した。1857年、この要請が認可された[3]。 エバンストンは1863年12月29日に町として正式に編入されたが、イリノイ州議会が町とする法案を成立させたにも拘わらず、市となるために1869年に町制を辞退した。南北戦争の後は、ノースエバンストンの村落を併合することでその市域を拡げた。最終的には1892年初期、サウスエバンストン村落の併合に続いて、有権者達の投票で市を組織することを選択した[4]。 1892年の市域は今日存在するものとほぼ同じである。19世紀遅くと20世紀初期、エバンストンとウィルメットの各郊外の間にあるミシガン湖岸にはノーマンズ・ランドと呼ばれる未編入で論争のある地域があった。この論争は最終的にウィルメット有利で決着し、この地域はウィルメットに組み込まれた[5]。俳優のチャールトン・ヘストンがノーマンズ・ランドで生まれ、その自叙伝『競技場で』にはその場所に関する記述がある[6]。しかしヘストンはノーマンズ・ランドのその誕生地がエバンストンの一部になったと書いている。 1939年、ノースウェスタン大学のパッテン体育館で第1回NCAA男子バスケットボール選手権大会決勝が行われた[7]。 第2次大戦後
歴史
1954年8月、世界教会協議会第2回大会がエバンストンで開催され、現在でもアメリカ合衆国で行われた同協議会の唯一の大会となっている。ドワイト・D・アイゼンハワー大統領がそのときの代表団と国際連合のダグ・ハマーショルド事務総長を出迎え、『信仰の道具』と題する重要な演説を行った[8]。
1960年代、ノースウェスタン大学が湖岸を74エーカー (300,000 m2) 埋め立てたので市の境界が変わった。グロスポイント灯台
今日、エバンストン市内にはノースウェスタン大学などの教育機関や女子学生の国際友愛会であるアルファ・ファイ、国際ロータリークラブ、ナショナル・レコテック・センター、シグマ・アルファ・イプシロン友愛会、シグマ・キー友愛会、およびキリスト教婦人禁酒同盟の本部がある。
エバンストンはティンカートーイ(組み合わせて楽しむ玩具)の発祥地であり、地元の伝説ではエバンストンの薬剤師がアイスクリーム・サンデーを発明したことになっているが、これにはニューヨーク州イサカやウィスコンシン州ツーリバーズでも同様な主張があり、論争になっている[9]。