エンダ・ウォルシュ (Enda Walsh)
誕生1967
アイルランド、ダブリン
職業劇作家、脚本家
国籍アイルランド
ウィキポータル 文学
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エンダ・ウォルシュ(英語: Enda Walsh、1967年生)はアイルランドの劇作家である。
生い立ち2015年エディンバラ・インターナショナル・フェスティバルで、エンダ・ウォルシュとドナハー・デネヒーによるThe Last Hotel
エンダ・ウォルシュは1967年に北ダブリンのキルバラックで、6人きょうだいの末っ子として生まれた[1]。「エンダ」はしばしば女性名「エドナ」と混同されるが、アイルランドの男性名である。父は家具店を営んでおり、母は女優だった[1]。しかしながら父親の事業はうまくいかなくなり、とくに利益が少なかった1980年代の不況の時代はウォルシュ自身がやっていた新聞配達のほうが父の店からあがる収益よりも多かったくらいだった[2]。大家族での暮らしではいろいろなことが起こっており、後で本人が述べたことによると、戯曲の多くは父親や母親、友人、三人の兄弟と二人の姉妹との関係からヒントを得たものだという[2]。
ウォルシュはグリーンデイル・コミュニティ・スクールに通い、そこでロディ・ドイルなどの教えを受けた[1]。ラスミネス・カレッジでコミュニケーションを学び、ダブリン・ユース・シアターの役者をつとめた[3]。その後、 コークの教育劇団グラフィティ・シアターで働き始める[4]。 1993年にウォルシュはコーカドーカ・シアター・カンパニーのパット・キアナンと協働しはじめ、ウォルシュいわく「ひどい」芝居を一緒に作った[5]。1996年にコークのトリスケル・アート・センターで『ディスコ・ピッグズ』が上演され、これは劇作家としてのウォルシュにとっても、出演した駆け出しの役者でまだ学生だったキリアン・マーフィにも出世作となった[6]。その後、ロンドンに移住した[7]。 2006年にはゴールウェイのドルイド・シアター・カンパニーにより、The Walworth Farceが初演された[8]。この作品は2015年にブレンダン・グリーソン、ドーナル・グリーソン、ブライアン・グリーソン
作家としてのキャリア
2011年には映画『ONCE ダブリンの街角で』の舞台化『ONCE ダブリンの街角で』の台本を担当し、2012年のトニー賞でミュージカル台本賞を受賞した[10]。この作品はトニー賞ミュージカル作品賞やドラマ・デスク・アワードのミュージカル賞も受賞している[10][11]。
ウォルシュが執筆・演出をした『バリーターク
』は2014年にランドマーク・プロダクションズとゴールウェイ・インターナショナル・アーツ・フェスティバルの製作によりキリアン・マーフィ、スティーヴン・レイ、マイケル・マーフィの主演で初演され、ダブリン、コーク、ロンドンでも上演された[12][13][14]。2017年にはアビー劇場で再演され、2018年初めにはニューヨークのブルックリンにあるセント・アンズ・ウェアハウスでも上演された[15][16]。 この作品は2018年4月より、白井晃演出、草g剛、松尾諭、小林勝也主演で神奈川芸術劇場及び世田谷パブリックシアターにて日本語版が上演される[17]。ウォルシュは2015年にロアルド・ダールの『アッホ夫婦』を舞台化し、4月から5月にかけてロイヤル・コート劇場で初演が行われた[18][19]。