この項目では、ドイツの作曲家について説明しています。この人物の名を芸名にしているイギリスの歌手については「エンゲルベルト・フンパーディンク (歌手)」をご覧ください。
エンゲルベルト・フンパーディンク
Engelbert Humperdinck
基本情報
生誕 (1854-09-01) 1854年9月1日
出身地 プロイセン王国、ジークブルク
死没 (1921-09-27) 1921年9月27日(67歳没)
ドイツ国、ノイシュトレーリッツ
学歴ケルン音楽院
ジャンルクラシック音楽
職業作曲家
エンゲルベルト・フンパーディンク(Engelbert Humperdinck, 1854年9月1日 - 1921年9月27日)はドイツの作曲家。 1854年、ラインラントのジークブルクに生まれる。1872年にケルン音楽院に入学してフェルディナント・ヒラーに師事。1876年に奨学金を得てミュンヘンに行き、フランツ・パウル・ラハナーと、後にヨーゼフ・ラインベルガーに師事。1879年にベルリンよりメンデルスゾーン基金を得てイタリアに行き、ナポリでリヒャルト・ワーグナーの信頼を得る。ワーグナーに招かれてバイロイトに行き、1880年から1881年の間《パルジファル》の上演を輔佐する。 再び学資金を得て、イタリアからフランス、スペインを旅行し、2年間バルセロナのリセウ高等音楽院で教鞭を執った。1887年にケルンに戻り、1890年にフランクフルト・ホーホ音楽院の教授に就任、シュトックハウゼン声楽塾の和声法の教師も務める。この頃までに、フンパーディンクの合唱曲や管弦楽曲が流行り出す。1900年にベルリンに行き、マイスターシューレの作曲教授に任命される。 今日では《ヘンゼルとグレーテル Hansel und Gretel 》のみが有名だが、この他にも《いばら姫 Dornroschen
生涯
作品