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(インド)
第16窟 カイラサナータ寺院
カイラサナータ寺院は一つの『彫刻』
英名Ellora Caves
仏名Grottes d'Ellora
登録区分文化遺産
登録基準(1),(3),(6)
登録年1983年
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図
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エローラ石窟群(エローラせっくつぐん、?????、Ellora caves)は、インド・ムンバイの東にあるアウランガーバード郊外の世界的に有名な石窟群である。エローラ石窟寺院群とも言う。 エローラは、インドのマハーラーシュトラ州、アウランガーバードから30Kmほど離れた村である。(現地では、エーローラーとも発音する。) ここに世界的に有名なエローラ石窟寺院群がある。このエローラにある岩を掘って作られた石窟寺院群はその典型的な遺跡として知られている。 34の石窟が、シャラナドリ台地(Charanandri hills)の垂直な崖に掘られており、5世紀から10世紀の間に造られた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院や修道院(あるいは僧院、僧坊)などから構成されている。仏教寺院(仏教窟)の数は12窟で、石窟寺院群の南端に位置する第1窟から第12窟がそれにあたる。ヒンドゥー教寺院(ヒンドゥー教窟)は第13窟から第29窟までの17窟、北端に位置する第30窟から第34窟までの5窟がジャイナ教の寺院(ジャイナ教窟)となっている。それぞれ石窟は近接している上に作られた時期も重なっている。 石窟寺院群は南西方向に面した崖に掘られている。東に掘られているものほど古く、西に行くほど新しい。東のものはほとんど仏教石窟で、中央付近のものはヒンドゥー教、西の方のものはジャイナ教の石窟寺院となっている。年代も、仏教の石窟がもっとも古く、次にヒンドゥー教、ジャイナ教の順で新しくなっていく。仏教の石窟寺院はまさに石窟で、狭い導入部と広い奥の空間という構造のものが多い。 ヒンドゥー教の石窟寺院は初期のものは仏教石窟と同じような構造をしているが、中期のものは複数の入り口や窓が設けられ、いくらか開放的になっている。さらに後期のものになると、完全に掘り下げられて広間が中庭状になっていたりする。カイラーサナータ石窟寺院にいたっては神殿そのものが完全に外部に露出してしまっている。 ジャイナ教の石窟寺院はヒンドゥー教後期の様式を真似ている。外部に露出した神殿もある。石窟は小規模だが装飾が多く、それぞれの石窟は連結されている。 初期の仏教は己の救済だけ追究する内向的な思想であったという。そのため瞑想室のような閉空間を必要とした。 時代が下がるにつれ、徐々に宗教は大衆を救う大乗的なものに変化し、それにつれて石窟寺院も開放的になっていく。ついには石窟そのものが必要なくなりエローラは放棄された、と言われている。[1] エローラ石窟寺院群でもっとも古い時代のものが仏教の遺構で、それらは5世紀から7世紀の間に作られた。近隣にあるアジャンター石窟群の仏教窟と同様に、エローラの仏教窟にも二種類の石窟がある。一つはヴィハーラ窟で、エローラの仏教窟の大半がこの様式である。ヴィハーラ窟は日本語でいう僧房や僧院のことで、修行僧がここで生活しながら瞑想を行なった。ヴィハーラ窟には瞑想室を中心として庫裏(台所)、寝室などの付帯設備が作られている。付帯設備が多いためヴィハーラ窟は階層構造となっている大きな窟が多い。 もう一つは仏塔(または堂塔)のあるチャイティヤ窟である。チャイティヤ窟は石窟には菩薩と聖者を従えた仏陀の像が掘られている。今でいう仏殿や本堂である。 初期、中期のチャイティヤ窟は最奥部に仏間があり、仏間の中央に仏像(大半が釈迦像と思われる)が彫られている。中央の仏像の周囲には、各種の菩薩像や天女が彫られている。これらの仏像は雑然と並んでいる。現在の日本のお寺でよく見られるような幾何学的な配置はしていない。日本では法隆寺五重塔の初重内陣にある涅槃像や入滅の場面の彫像群に同じような意匠を見ることが出来る。 後期のものは吹き抜けのようなホールがあり、最奥部にストゥーパを背にした仏像が安置されている。 ヴィハーラ窟にしてもチャイティヤ窟にしても、もともとは木造である僧院と仏殿を模範としているので、石窟の内部には木造構造を模した柱や梁が彫られている。 第10窟はヴィシュヴァカルマ窟(Visvakarma)といい、一般的には大工の石窟と言われ仏教石窟の中でもっとも有名な石窟である。 第10窟はチャイティヤ窟で仏教石窟の中では最後期のものである。この窟の天井の高いホールに入ると、奥にあるストゥーパが目に入る。ストゥーパを背にして、高さ15フィートの説法をする仏陀の像が鎮座している。 ヒンドゥー教石窟は7世紀頃から作られ始めた。これらのヒンドゥー教石窟は掘削技術と美術的観点の二つの面からいくつかの異なる様式を見出すことができる。これらの石窟は上から下に掘られているものが多い。いくつかの石窟寺院は非常に複雑で、その完成には数世代の期間を要したと思われる。 第16窟はカイラーサナータ寺院(Kailasanatha Temple)、あるいはカイラーサ寺院(Kailasa Temple)と呼ばれ、エローラで最も重要な石窟寺院である。エローラすなわちカイラーサナータ寺院と思っている人もいるほどエローラを代表する石窟である。 この巨大な『彫刻』は、ラーシュトラクータ朝の君主クリシュナ1世(位756年 - 775年)の命により、カイラス山(須弥山、ヒンドゥー教ではシヴァ神が住むとされる)をイメージして掘られたものと考えられている。クリシュナ1世は、パッタダカルのバーダーミのチャールキヤ朝の建築をモデルにしつつ、岩山から寺院を彫りだすアイディアは、パッラヴァ朝のマハーバリプラムの「ラタ」にヒントを得て、それを凌駕しようとする寺院を造り出すことでシヴァ神を祀り、王朝の権威を示そうとするものであった。 カイラーサナータ寺院はアテネのパルテノン神殿の倍ほどの規模があり、石窟と言うより一つの高層建築物にしか見えないが、紛れもなく一つの岩から掘られたものである[2]。カンボジアのアンコール・ワットやインドネシアのボロブドゥール遺跡も同じくカイラス山をイメージして作られたものだと言われている。 全ての彫刻は2階以上の階層にある。2階層の出入り口はU型の中庭になっている。その中庭は彫刻のある3階層の回廊によって縁取られている。その回廊は巨大な彫刻パネルによって区切られており、それは様々な神の巨大な彫刻を含む一つの女性器像になっている。もともとはこの回廊は中央の寺院といくつかの空中回廊によって結ばれていた。これらの空中回廊は今は崩れて無くなっている。 この中庭には二つの巨大彫刻がある。一つは伝統的なシヴァ寺院によく見られるように、神聖な雄のナンディー(Nandi シヴァの乗り物である牝牛)の像が中央寺院のリンガに面するようになっている。第16窟では、このナンディー・マンダプ(Nandi Mandap)と中央寺院(シヴァ寺院)はそれぞれ約7mの高さがあり、2つの階層により構成されている。ナンディー・マンダプの低い方の階層は2重構造をしており、精巧で絵画的な彫刻により装飾されている。寺院の土台は象が建物を支えているような彫刻になっている。 岩の空中回廊は、ナンディー・マンダプと中央寺院の玄関を結んでいるものだけが現存している。中央寺院は南インドでよく見られるピラミッド型の構造をしている。神殿は列柱、窓、内室と外室と、階段状のホール、巨大なリンガを備えている。
概要
エローラに見られる精神史エローラの彫刻エローラの石窟
初期の仏教石窟
中期 ヒンドゥー教石窟 第12窟
後期 カイラーサナータ寺院
仏教石窟第10窟
ヒンドゥー教石窟第16窟 中央寺院の土台は象の彫刻が支える第16窟 中央寺院は空中回廊によって結ばれている