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Helene Carrere d'Encausseエレーヌ・カレール・ダンコース(2013年)
人物情報
生誕エレーヌ・ズラビシュヴィリ(Helene Zourabichvili)
(1929-07-06) 1929年7月6日
フランス、パリ16区
死没 (2023-08-05) 2023年8月5日(94歳没)
フランス、パリ
国籍 フランス
出身校ソルボンヌ大学
パリ政治学院
配偶者ルイ・カレール=ダンコース(wikidata)
両親父:ジョルジュ・ズラビシュヴィリ(フランス語版)
母:ナタリー・ズラビシュヴィリ(wikidata)
子供エマニュエル・カレール
ナタリー・カレール(Nathalie Carrere)(wikidata)
マリナ・カレール・ダンコース(フランス語版)
学問
研究分野歴史、ロシア史
研究機関ソルボンヌ大学、パリ政治学院、欧州大学院大学
学位博士(doctorat)
(パリ第1パンテオン・ソルボンヌ大学・1976年)
主要な作品『崩壊した帝国』(フランス語版)
『二つの世界の間のロシア』(フランス語版)[1]
学会アカデミー・フランセーズ
主な受賞歴レジオンドヌール勲章グランクロワ
国家功労勲章オフィシエ
教育功労章コマンドゥール
芸術文化勲章コマンドゥール
名誉勲章(ロシア語版)(ロシア)
レオポルド勲章(フランス語版)コマンドゥール(ベルギー)
ポーランド共和国功労勲章(ポーランド語版)
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エレーヌ・カレール=ダンコース(仏: Helene Carrere d'Encausse、1929年7月6日 - 2023年8月5日)は、フランスの歴史学者。ロシア史を専門とし、『崩壊した帝国』(フランス語版)、『レーニン』、『未完のロシア』などを著した。ソルボンヌ大学、パリ政治学院、欧州大学院大学で教鞭を執り、1994年から99年まで欧州議会議員としてロシアとの協力関係の強化に尽力。1990年にアカデミー・フランセーズ会員に選出され、1999年から終身事務局長を務めた。
元ジョージア外務大臣で、2018年からジョージア大統領を務めるサロメ・ズラビシュヴィリの従姉妹である[2]。 エレーヌ・カレール=ダンコースは1929年7月6日、エレーヌ・ズラビシュヴィリ(仏: Helene Zourabichvili)としてパリに生まれた[3]。父ジョルジュ・ズラビシュヴィリ
生涯
背景
エレーヌの7歳下の弟ニコラ・ズラビシュヴィリ(フランス語版)(1936年生まれ、ニコラ・ズラビシュヴィリ・フォン・ペルカンとも)は作曲家で[7]、とりわけ、トビリシ出身の映画監督オタール・イオセリアーニが制作した多くの作品(『素敵な歌と舟はゆく』、『月曜日に乾杯!』、『ここに幸あり』など)で音楽を担当したことで知られる[8]。
1952年に音楽家ジョルジュ・カレール(フランス語版)とピアニスト・教育者のポール・カレール=ダンコース(フランス語版)の息子で保険業を営んでいたルイ・エドゥアール・カレールと結婚し、エマニュエル(1957年生)、ナタリー(1960年生)、マリナ(1962年生)の3子をもうけた[9][10]。エマニュエル・カレールはフェミナ賞受賞作家[9][11]、ナタリー・カレールは弁護士、著述家、マリナ・カレール・ダンコース(フランス語版)は超音波検査専門の医師で、フランス5の健康情報番組を担当するなどジャーナリストとしても活躍している[12][13][14]。
エレーヌ・カレール=ダンコースの父ジョルジュ・ズラビシュヴィリは、第二次大戦中に2年間、ボルドーのドイツ軍経済局で通訳をしていたが、1944年のパリ解放後に行方不明になった。エレーヌが15歳、ニコラが8歳のときであった。エレーヌ・カレール=ダンコースはこれについて口を閉ざしていたが、息子のエマニュエル・カレールが叔父ニコラから聞いた話に基づく小説『ロシア小説(Un roman russe)』(フランス語版)を発表し、祖父ジョルジュは何者かに連れ去られ、消息を絶った、「死体は見つかっていないし、死亡通知もなかったので、墓石もない」と書いた[4]。