エレノア・ローズヴェルト
[Wikipedia|▼Menu]
エレノア・ルーズベルト

アナ・エレノア・ルーズベルト(Anna Eleanor Roosevelt, 1884年10月11日 - 1962年11月7日)はアメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの夫人、アメリカ国連代表、婦人運動家、文筆家。
目次

1 生い立ち

2 結婚

3 後年

4 関連項目

5 外部リンク

//


生い立ち

アナ・エレノア・ルーズベルトは1884年10月11日ニューヨーク37番街西56で、エリオット・ルーズヴェルトとアナ・エレノア・ホール夫妻の間に生まれる。彼女は第26代大統領セオドア・ルーズベルトの姪に当たる。父はハンサムでアルコール中毒患者だった。母は美人であったが冷酷であった。両親とも大富豪の名門で、金銭的にはとても恵まれていたが、家庭環境は理想とはかけ離れたものだった。

両親と早くに死別したため、祖母の下で養育される。その後イギリスに渡り女学校に入学した。そのときの女学校の先生でフェミニストとしても有名だったマリー・スーヴェストゥールの進歩的な考えに大きな影響を受ける。帰国後ニューヨークで、貧しい移民の子どものための学校で働き、人生で初めて貧困の現状を目にし、大きな衝撃を受ける。このときの体験が、彼女が生涯人権のために働いた原動力であったともいえる。


結婚

1905年に遠縁に当たるフランクリン・ルーズベルトと結婚し、五男一女の子供をもうけた。もともとエレノアは内気で子供の教育に熱心な妻であり母親であったが、夫フランクリンの政界入りに伴いエレノアもニューヨーク州民主党婦人部長をつとめたことがきっかけで、家庭の外で活躍を始めた。1921年に夫フランクリンが突然小児麻痺の発作に襲われ政治活動を断念しようとしたときは、彼女はフランクリンにとって政治こそが精神的に立ち直るために必要であると励まし、ルーズベルトが復帰する原動力となったことは良く知られている。ひょっとすると1918年に自分の秘書ルーシー・マーサ・ラザフォードと夫との不倫を知った(そしてそれを容認した)ことも政治への情熱の一助となったかもしれない。

1933年3月4日にルーズベルトが大統領に就任した。ホワイトハウス時代12年間、エレノアは夫フランクリンの政策に対して大きな影響を与えた。ルーズヴェルト政権の女性やマイノリティに関する進歩的政策はほとんどがエレノアの発案によるものである。(エレノアはルーズヴェルト政権の日系アメリカ人強制収容に反対している)。さらに、この間に多くの友人を得たことが夫の死後「第二の人生」を開く大きな財産となった。


後年フランク・シナトラと(1947年)

1945年4月12日にルーズベルトが亡くなり、悲しみのうちに彼女は家族と共にニューヨーク州ハイドパークの私邸で静かな余生を送るつもりであった。しかし、夫の跡を受け継いだトルーマン大統領の要請で国際連合の第1回総会代表団の一員に指名される。上院の同意を得て正式に任命されたエレノアは、1946年ロンドンに赴任し総会に参加した。ロンドンの総会では人権委員会に参加し、委員長に選出される。人権委員会は世界人権宣言の起草に着手し1948年12月に国連総会で採択された。

また、1952年までアメリカの国連代表をつとめた。国連代表を退任した1953年からは各国の女性団体に招聘され、女性の地位向上に八面六臂の活躍をした。同年に来日し各地で講演したほか、昭和天皇香淳皇后と会見している。更に香港ギリシアトルコユーゴスラビアの各国を精力的に訪問。ユーゴでは、チトー大統領と会談。1957年には、当時のソビエト連邦を訪問し、フルシチョフソ連共産党第一書記と会談している。

政治的には伝統的な民主党リベラル派に近い位置にあり、黒人問題では大胆であった。1956年の大統領選挙ではアドレー・スティーブンソンを支持した。ジョン・F・ケネディに対しては、ケネディが最初の時期にジョセフ・マッカーシー議員の赤狩りに協力していたことから不支持を表明している。

1962年11月7日、ニューヨーク市の自宅で亡くなった。享年78。エレノアの死後、息子のエリオット・ルーズベルトはエレノアを主人公とした推理小説を発表した。内容は大統領夫人のエレノアが警察を助け、犯罪を暴くというもので、当時実在した人物や場所が登場する。

エレノアの業績は多岐に渡る。もっとも活動的なファーストレディ、人権活動家、新聞のコラムニスト、世界人権宣言の起草者など。しかし彼女の最も大きな業績は、「人権擁護の象徴であること」だろう。彼女は進歩的アメリカのシンボルであり、スターである。そのことが、エレノアを現在でもアメリカ人をはじめ、世界中の人々の尊敬と崇拝の的にしているのである。


関連項目

特殊慰安施設協会


外部リンク

Eleanor Roosevelt National Historic Site

The Eleanor Roosevelt Center at Val-Kill

The Eleanor Roosevelt Papers

Franklin D. Roosevelt Presidential Library and Museum

National First Ladies' Library

The Franklin and Eleanor Roosevelt Institute

The Roosevelt Institution, a student think tank inspired in part by Eleanor Roosevelt

An 'Outing' of Historical Proportions- an article about E.R.'s possible bisexuality, by Cliff Arsen, a gay rights activist who was friends with Roosevelt during his childhood and adolescence.

TeddyRoosevelt.com: Information about Eleanor and her favorite, famous uncle Teddy.

[1], Mrs. Roosevelt dies at 78. New York Times Obituary, November 8, 1962.


先代:
ルー・ヘンリー・フーヴァーアメリカのファーストレディ
1933 - 1945次代:
ベス・トルーマン
カテゴリ: アメリカ合衆国の大統領夫人ニューヨーク市出身の人物オランダ系アメリカ人LGBTの人物1884年生1962年没

更新日時:2008年5月9日(金)05:24
取得日時:2008/05/29 17:12


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:11 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef