エレノア・ルーズベルト
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Eleanor Roosevelt
エレノア・ルーズヴェルト
1933年7月撮影

初代女性の地位大統領委員会議長
任期
1961年1月20日 ? 1962年11月7日
大統領ジョン・F・ケネディ
前任者(初代)
後任者エスター・ピーターソン
(Esther Peterson)
初代国際連合人権委員会
アメリカ合衆国代表
任期
1947年1月27日[1] ? 1953年1月20日[2]
大統領ハリー・S・トルーマン
前任者(初代)
後任者メアリー・ピルズベリー・ロード
(Mary Pillsbury Lord)
初代国際連合人権委員会議長
任期
1946年4月29日[3] ? 1952年12月30日[4]
前任者(初代)
後任者チャールズ・マリク
(Charles Malik)
アメリカ合衆国のファーストレディ
任期
1933年3月4日 ? 1945年4月12日
大統領フランクリン・D・ルーズヴェルト
前任者ロウ・ヘンリー・フーヴァー
(Lou Henry Hoover)
後任者ベス・トルーマン
ニューヨーク州ファーストレディ
任期
1929年1月1日 ? 1932年12月31日
知事フランクリン・D・ルーズヴェルト
前任者キャサリン・ダン
(Catherine Dunn)
後任者エディス・アルツシュル
(Edith Altschul)

個人情報
生誕アナ・エレノア・ルーズヴェルト
(Anna Eleanor Roosevelt)
(1884-10-11) 1884年10月11日
アメリカ合衆国
ニューヨーク州
ニューヨーク市
死没1962年11月7日(1962-11-07)(78歳)
アメリカ合衆国
ニューヨーク州
マンハッタン
墓地Home of FDR National Historic Site(Hyde Park, New York)
政党 民主党
配偶者フランクリン・D・ルーズヴェルト
(1905年結婚、1945年死別)
子供フランクリン
アナ
エリオット
ジェームズ
ジョン


エリオット・B・ルーズベルト (父)

アナ・レベッカ・ホール (母)

親族ルーズヴェルト家
署名
夫F・D・ルーズヴェルトと(1935年)

アナ・エレノア・ルーズベルト(Anna Eleanor Roosevelt, 1884年10月11日 - 1962年11月7日)は、アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻(ファーストレディ)、アメリカ国連代表、婦人運動家、文筆家。リベラル派として高名であった。身長5フィート11インチ(約180cm)[5]
プロフィール
生い立ち

アナ・エレノア・ルーズベルトは1884年10月11日、ニューヨーク37番街西56で、エリオット・ルーズベルト、アナ・エレノア・ホール夫妻の間に生まれる。エリオットは第26代大統領セオドア・ルーズベルトの弟であり、エレノアはセオドアの姪に当たる。父はハンサムだったが、アルコール中毒患者となった。母は美人であったが、冷酷であった。両親とも大富豪の名門で、金銭的にはとても恵まれていたが、家庭環境は理想とはかけ離れたものだった。

両親と早くに死別したため、母方の祖母の下、家庭教師によって、厳格に養育される。その後イギリスに渡り、ロンドン南西部、ウインブルドンにあった女学校に入学、卒業した(1899-1902)。そのときの女学校の校長でフェミニストとしても有名だったマリー・スーヴェストゥールの進歩的な考えに大きな影響を受ける。帰国後ニューヨークで、貧しい移民の子どものための学校で働き、人生で初めて貧困の現状を目にし、大きな衝撃を受ける。このときの体験が、彼女が生涯人権のために働いた原動力であったともいえる。
結婚

1905年に、父親の五いとこ(fifth cousin)に当たるフランクリン・ルーズベルトと結婚し、5男1女の子供をもうけた。もともとエレノアは内気で子供の教育に熱心な妻であり母親であったが、夫フランクリンの政界入りに伴い、エレノアもニューヨーク州民主党婦人部長を務めたことがきっかけで、家庭の外で活躍を始めた。

1921年に、夫フランクリンが突然ポリオに罹患し、政治活動を断念しようとしたときは、彼女はフランクリンにとって政治こそが精神的に立ち直るために必要であると励まし、ルーズベルトが復帰する原動力となったことは良く知られている。1918年に自分の秘書ルーシー・マーサ・ラザフォードと夫との不倫を知った(そしてそれを容認した)ことも政治への情熱の一助となったかもしれないと評されている。一方、1928年に出会い、長年に亘り強い友情で結ばれていた女性記者ロレーナ・ヒコックとの関係は、同性愛であったのではないかとされている[6]。また、夫が秘書のマーガレット・ルハンドらと不倫関係にあるのと同時期に、エレノアは夫の側近のハリー・ホプキンス[7] やボディガードのアール・ミラーと不倫関係にあり、夫妻は共にお互いの不倫を知り、それを認め合い、更にそのことで「励ましあう」関係だった、という。ミラーとの関係はエレノアが亡くなるまで続いた[8]
ファーストレディアメリカ赤十字社のため宣伝するエレノア(1940年5月22日)戦地の兵士を激励するエレノア(1943年9月)G・クーパーと(1950年4月3日 ニューヨーク)

大恐慌後の世界的な不景気下の1933年3月4日に、ルーズベルトが大統領に就任した。その後ルーズベルトが3選されたホワイトハウス時代の12年間、エレノアは夫フランクリンの政策に対して大きな影響を与えた。ルーズベルト政権の女性やマイノリティに関する進歩的政策は、ほとんどがエレノアの発案によるものである。

なお、エレノアはルーズベルトが第二次世界大戦中に推し進めた日系アメリカ人強制収容に反対している。さらに、この間に多くの友人を得たことが夫の死後「第二の人生」を開く大きな財産となった。
晩年.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}.mw-parser-output .listen .side-box-text{line-height:1.1em}.mw-parser-output .listen-plain{border:none;background:transparent}.mw-parser-output .listen-embedded{width:100%;margin:0;border-width:1px 0 0 0;background:transparent}.mw-parser-output .listen-header{padding:2px}.mw-parser-output .listen-embedded .listen-header{padding:2px 0}.mw-parser-output .listen-file-header{padding:4px 0}.mw-parser-output .listen .description{padding-top:2px}.mw-parser-output .listen .mw-tmh-player{max-width:100%}@media(max-width:719px){.mw-parser-output .listen{clear:both}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .listen:not(.listen-noimage){width:320px}.mw-parser-output .listen-left{overflow:visible;float:left}.mw-parser-output .listen-center{float:none;margin-left:auto;margin-right:auto}}亡き夫が掲げた4つの自由を盛り込んだ世界人権宣言を手にするエレノア一般教書演説 (4つの自由)


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