エレノア・オブ・イングランド
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この項目では、カスティーリャ王アルフォンソ8世の王妃となったイングランド王ヘンリー2世の王女について説明しています。

イングランド王ジョンの王女については「エリナー・オブ・レスター」をご覧ください。

イングランド王エドワード1世の王女については「エリナー・オブ・イングランド (バル伯爵夫人)」をご覧ください。

イングランド王エドワード2世の王女については「エリナー・オブ・ウッドストック」をご覧ください。

レオノール・プランタヘネト
Leonor Plantagenet
カスティーリャ王妃

在位1170年9月 - 1214年10月5日

出生1162年10月13日
ノルマンディー
ドンフロン城
死去 (1214-10-31) 1214年10月31日(52歳没)
カスティーリャ王国
ブルゴス
埋葬 カスティーリャ王国
ブルゴス
サンタ・マリア・デ・ラス・ウエルガス王立修道院
結婚1170年9月
ブルゴス
配偶者カスティーリャアルフォンソ8世
子女一覧参照
家名プランタジネット家
父親イングランドヘンリー2世
母親アリエノール・ダキテーヌ
宗教ローマ・カトリック
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12世紀に描かれた、アルフォンソ8世と王妃レオノール像。作者不詳。スペイン国立図書館所蔵。

エレノア・オブ・イングランド(Eleanor of England, 1162年10月13日 - 1214年10月31日)は、カスティーリャアルフォンソ8世の王妃。スペイン語ではレオノール・プランタヘネト(Leonor Plantagenet)またはレオノール・デ・イングラテーラ(Leonor de Inglaterra)。イングランドヘンリー2世と王妃アリエノール・ダキテーヌの次女(第6子)。

異父姉にマリーアリックス、同父母の兄弟姉妹では兄にウィリアム若ヘンリー王リチャード1世ジェフリー、姉にマティルダがいる。また弟にジョン、妹にジョーンがいる。
生涯

ノルマンディーのドンフロン城で生まれた。洗礼式で代父となったのは、中世の歴史家ロベール・ド・トリニーで、彼はエレノアの生涯を記録に残した。幼少期はポワチエにある母の宮廷で兄弟姉妹たちと一緒に育てられた(政略結婚でポワチエにいなかったとも)[1]。母と同じ「エレノア」という名を与えられたが、ギリシャ語の「ヘレン」やイタリア語の「エレーナ」に近いと考えられている。

1170年、わずか8歳でアルフォンソ8世と結婚した。彼女の持参金として、ピレネー山脈にほど近いガスコーニュが含まれていた[2]

アリエノール・ダキテーヌの生んだ娘たちの中で、彼女の政治的な気質を最も受け継いだのはエレノアだった。文化的気質も受け継ぎ、吟遊詩人たちのパトロンとなりカスティーリャ宮廷をポワチエと同様の華やかな雰囲気に変えていった。そして母と同じく多くの子供を産み、自ら子供達の教育に当たり、ブルゴスサンタ・マリア・デ・ラス・ウエルガス王立修道院建設にも取り組んだ[3]

レコンキスタが停滞しキリスト教国家が相争う状況を憂いたエレノアは、長女ベレンゲラレオンアルフォンソ9世との縁組を提案、1197年に2人は結婚してカスティーリャとレオンの関係は修復された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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