エレナ_(歌手)
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エレナ
?λενα Παπαρ?ζου
出生名Eleni Paparizou
別名Helena Paparizou
生誕 (1982-01-31)
1982年1月31日(42歳)
 スウェーデン ヴェストラ・イェータランド県ボロース
出身地 スウェーデン ストックホルム県ストックホルム
ジャンルライカ, ポップフォーク, ポップ、ダンス
職業シンガーソングライター、モデル
担当楽器ボーカル
活動期間1999–present
レーベルソニー, Bonnier Amigo, Moda, AATW
共同作業者アンティーク

エレナ、あるいはエレーナ・パパリズー(ギリシャ語:?λενα Παπαρ?ζου、ラテン文字転写例:Elena Paparizou、1982年1月31日-)はギリシャスウェーデン歌手ヨーロッパではギリシャ代表として出場したユーロビジョン・ソング・コンテスト2005の優勝者として、そしてその際の発表曲「My Number One」で有名である。
来歴
幼少時

スウェーデンのボロース市生まれ、イェーテボリ市オールグリューテ区育ち。彼女の父Georgiosはギリシャのボロス、母Efrosiniは同国のカルディツァ出身の移民。兄弟はRitaとDino。幼少の頃から芸術の分野に興味をそそられ、秘めたる才能を発揮しだしていた。学校では勉学のかたわら歌や舞踏、演劇などにも熱中する日々を送っていた。
アンティーク詳細は「アンティーク (デュオ)」を参照
1999年-2003年

17歳のときにエレーナは幼馴染のニコス・パナジオティディスとデュオグループ・アンチークを立ち上げ、芸能界で活躍する夢を現実のものとした。リリースした最初のシングル「Opa Opa」はゴールドディスクの大ヒットとなった。 ユーロビジョン・ソング・コンテスト2001のギリシャ代表に選出されたアンティークは「(I Would) Die for You」で3位に輝き、ギリシャにとって2004年のサキス・ルーヴァスの「Shake It」と並び、エレーナ自身が2005年ソロで優勝して記録を更新するまでの最高位に輝いた。

ユーロビジョン・ソング・コンテストの健闘以後、アンティークは何枚ものプラチナヒット・アルバムを発表し、ヨーロッパ公演や多くのギリシャ人アーチストとの共演などをこなし、成功を収めたと言える。ただエレーナ自身は、まるで子供の頃に夏休みを過ごしたギリシャの印象からつけたデュオの名称である「アンティーク」と同じが如く、ギリシャの音楽シーンに古めかしさを感じてしまっていると認めてもいた。
ソロ活動
2003年-2004年
『Protereotita』

デュオとしての成功にかかわらず、アンティークは「自然な流れで」という言葉どおり彼らにとって良いタイミングだった2003年に解散。エレーナはソロ活動の口火を切った。ソニー・ミュージックエンタテインメントと契約、2003年12月にはファーストシングル「Anapantites Klisis」(後に英語バージョン「I Don't Want You Here Anymore」として再リリース)を発売した。この曲はギリシャ人歌手兼作曲家のChristos Dantisが彼女のために書いたもので、ギリシャのゴールドディスクを記録する大ヒットとなった。

2003年冬から2004年にかけて、エレーナはStudio Pireos nightclubでギリシャの大物歌手Antonis Remosと並ぶ主演回数をこなし、2004年春には初アルバム『Protereotita』をリリース。ここからシングル・カットされた「Antithesis」「Anamnisis」「Katse Kala」「Stin Kardia Mou Mono Thlips」はことごとくヒットし,アルバムもギリシャでダブルプラチナディスクの大ヒットとなった。2004年冬から2005年にかけては、Fever nightclubのステージにSakis Rouvasに匹敵する出演数を果たした。
2005年
ユーロビジョン・コンテスト

人気を博し、より多くの時間を過ごすこととなっていたギリシャで、エレーナはふたたびユーロビジョン・ソング・コンテスト2005の出場を打診された。国内最終予選で「My Number One」「Let's Get Wild」「okay」を歌い、テレビ投票の結果「My Number One」で代表に選出された。実はもう一曲「The Light in Our Soul」も披露していたが、予選前にリリースしていたことが規定に引っかかり後に無効となってしまっていた。ウクライナキエフで開催された本選では、デュオやコーラスなどで過去何度もユーロビジョン・ソング・コンテストに出場した経験を持つキプロス出身の歌手Alexandros Panayiをバックボーカルに従えて出場。「My Number One」で優勝の栄冠を手にした。

エレーナはファーストアルバム『Protereotita』を、ユーロビジョン・ソング・コンテスト選考で歌った曲を含む「I Don't Want You Here Anymore」「Antithesis」「okay」「If You Believe Me」といった過去の曲の英語バージョンや、「Ehis Kero na Mou Feris」「Louloudia」のバラッド調バージョンなどを収録し再リリースした。なお、すでにファーストアルバムを持っているファンのために新作のみを集めた10トラックCDも別売された。また、ユーロビジョン・ソング・コンテスト使用曲とデビューアルバム曲だけを集めた16トラックのアルバムが『My Number One』のタイトルでスカンディナビアポーランドロシアスイスおよびトルコで発売された。
高まる人気

このように国際的に人気が高まるエレーナをギリシャ政府は正式な観光大使に任命し、世界中で「My Number One」をBGMに使ったプロモーションビデオが流された。また、スウェーデンでは7月14日に開催された王女の誕生日祝賀コンサートに出演を要請され、曲を披露している。この時、謝礼の意味でエレーナを軽く抱擁したスウェーデン現国王カール16世グスタフの手が、エレーナの腰の社会的に容認される部分よりもちょっと下に触れたんじゃないかというゴシップ騒ぎが起こった。それに対する王室の発表は「手がすべっただけ」とのこと[1]だった。

2005年夏から秋には人気歌手Nikos Kourkoulisとのジョイントツアーをオーストラリア北アメリカで行い、どの会場も超満員で埋め尽くした。同年秋、エレーナは新曲「Mambo!」のレコーディングに取り掛かり、年末にはギリシャ語のセカンドアルバムおよび公式には初となる英語のアルバム制作も開始した。
2006年
「Mambo!」


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