エレックレコード
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エピックレコード」とは異なります。

エレックレコード株式会社
ELEC RECORDS種類株式会社
本社所在地 日本
154-0001
東京都世田谷区池尻2-9-8 エンドウビル4F
法人番号2010901015250
事業内容音楽ソフト・映像商品の制作・企画・製造・販売 音楽著作権の管理 CD等の原盤制作 実演家の発掘・育成及び管理 等
代表者代表取締役社長 西原均
資本金1000万円
外部リンク ⇒http://elecrecords.com/
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エレックレコード (ELEC RECORDS) は、1969年設立のインディペンデントレーベル[1]

URCレコードベルウッド・レコードとともに初期フォーク系の3大レーベルのうちのひとつ。また、今日のインディーズレーベルの先駆けとされる[2]
歴史
設立から倒産まで

1969年に設立され[1][3]、1970年、広島フォーク村吉田拓郎をスカウトし[1][2][4]、1971年6月リリースされた『よしだたくろう オン・ステージ ともだち』がヒットし、会社が軌道に乗る[5]

その後も泉谷しげる佐藤公彦ら人気ミュージシャンのレコードをリリースし急成長[2][6][3]。設立時は新宿喫茶店の2階、僅か15坪の事務所であったが[6]、3年で年商20億、新宿管内では伊勢丹に次ぐ高額納税企業になった[6]。7階建ての本社ビルを建設し、最盛期には社員100人を越えた[6]

しかし1972年以降は、吉田拓郎や泉谷しげるをはじめとする看板アーティストの移籍・独立が相次いだ。1972年1月には吉田拓郎がCBSソニーに移籍。1973年には、海援隊が『風雲編』を最後にテイチクレコードへ移籍、スタッフの一人が音楽出版社を設立。1974年5月にはスタッフの一人が古井戸とともに音楽出版会社を設立。1974年10月には泉谷しげるが『黄金狂時代』を最後にレコード会社を移籍。1975年7月にはケメ(佐藤公彦)が『遠乗りの果て』を最後にレコード会社を移籍した。

1974年12月には、URCレコードの販売を受託している。

エレックレコードは1976年7月15日、1,300万円の不渡りを出して倒産した[6]負債総額は12億円[6]。エレックレコードの社員であった門谷憲二は、倒産の原因を放漫経営と分析している[7]
功績

日本のレコードにおけるインディーズシーンを切り開いたのは、エレックレコード、URCレコードベルウッド・レコードの3大レーベルのフォークであり、大規模野外コンサートの先駆けとなったのも、それらに所属したシンガーを中心としたフォークであった[8]黒沢進『資料 日本ポピュラー史研究 初期フォークレーベル編』(SFC音楽出版、1986年)では、永野譲(エレック)、大瀧詠一(エレック、ベルウッド)・三浦光紀(ベルウッド)、秦政明 (URC)、高田渡 (URC)、早川義夫 (URC)、岩井宏 (URC) ら、URC・ベルウッド・エレックの関係者へのインタビューが行われている。

吉田拓郎泉谷しげるらが在籍したこともあってフォークレーベルのイメージが強く、基本のレーベル名は「エレックレコード」を通したが、多角的な展開を図るため、1973年のずうとるびデビューの際にアイドル系の「愛レーベル」を立ち上げ、あおい輝彦などを手がけた[1][2]。学生時代にエレックレコードのアーティストのレコーディングに参加したCharは、あおいの1973年11月のアルバム『免許証』などにもギターとして参加している。

後期には、大瀧詠一の「ナイアガラ・レーベル」を傘下に入れた[8]。つまり山下達郎率いるシュガー・ベイブもエレックレコード出身である[8]

同社の看板イベント「唄の市」コンサートは、1971年、東京都内で開催された「唄の市」旗上げ式から始まったといわれる。その後、「唄の市」コンサートを開催し、佐藤公彦、ピピ&コット、泉谷しげる、古井戸といった看板アーティストが出演して、全国展開した「唄の市」は一時、年間200本にも及んだという。同社が主催だけではなく、協力という形にして各地のグループが主催する「唄の市」コンサートも開催した[9]。プロのアーティストとアマチュアミュージャン、ファン、顧客との交流の場でもあった。コンサートの音源の一部は、ライブ盤のレコードとして販売された。

メディア戦略としては、ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)のオーディション番組に同社から審査員を出し、新人を発掘。音楽雑誌やラジオ番組情報誌との連携によって新人をバックアップする体制を作り上げた[10]
倒産から再建までの間

歌手の移籍先が原盤権を引き継いだ作品や、芸能事務所や歌手本人など外部が原盤権を所有しているものを除き、再発売される機会が少なかった。

また、1970年代末期から1980年代初期には歌唱者や権利者が不明のカバーソング[注 1]で、エレックレコードや大映レコードなど休眠・消滅状態のレーベルを使用して発売されたものが存在し、時折オークションサイトでも取引されているが、それらの商標権の所在や発売した法人の形態などの詳細は不明である[注 2]
再建後

2004年、新生・エレックレコード株式会社が設立され[11]、復刻CDのリリースや往年のイベントである「唄の市」コンサートを復活させるなどしている。

当初はバップポニーキャニオンフォーライフミュージックエンタテイメントの各社に音源を提供していたが、2013年6月よりワーナーミュージック・ジャパンの傘下レーベルの一つとして復刻版などが順次発売されるようになった。

2016年5月25日、大滝裕子・斉藤久美・吉川智子の3名からなる女性コーラスグループ「AMAZONS」の結成30周年記念アルバム『Fantastic 30』を発売。同年9月14日、Stillwater(平川学)によるスラックキーギターを応用したオリジナル曲・オリジナルアレンジのハワイアンソング『Ku’u Milimili』を発売。同年10月30日、以前のユニット「ワカバ」を経て2016年4月からソロ活動をスタートさせた亀田大のミニアルバム『おもて』を発売。同年11月2日、7人組ブラスロックバンド「Empty Black Box」(EBB) による『SEVEN'S DOOR』を発売。

2017年2月1日、大阪で活動するシンガーソングライター清水明日香の『LIFE』を発売。同年2月22日、2004年結成のダークでネガティブなイメージの楽曲を得意とするロックバンド「IKD-SJ (アイケーディーエスジェイ)」の過去に発表した楽曲のうち5曲を「全パート一発録音・ノーダビング」という異例の再レコーディングをしたミニアルバム『ラムレーズン』を発売。同年3月22日、エレックレコード内ジャズ専門レーベル「エレックジャズ」から、グラミー賞作品を手がけ、アート・ブレイキーチェット・ベイカー等のグループで活躍したロニー・プラキシコがプロデュースした上西千波のアルバム『LOVE&PEACE|PRAYER』を発売。同年4月19日、日本のオペラ歌手である増田いずみのアルバム『夢』を発売(阿久悠作詞の未発表曲を収録)。同年4月26日、奄美大島在住のシンガーソングライター杜氏西平せれなのポップ、テクノ、エスニックなど様々なジャンルが詰まったファースト・フルアルバム『メッセオアマッサ‐message or massage?-』を発売。
沿革

1969年

出版社エレック社が行っていた音楽通信教育講座の会員作品をレコード化するため、永野譲、浅沼勇らの出資によって、新宿御苑に設立。

初代社長は永野譲。


同年4月、文化放送アナウンサー・土居まさるの歌による4曲入りコンパクト盤の市販をスタート。

当時、流行が始まっていたフォークソングのレコード制作に方針を決め、手始めに「広島フォーク村」のアーティストたちを抜擢。

1970年

4月よしだたくろうが「イメージの詩/マークII」でデビュー。

その後、『青春の詩』、『よしだたくろう オン・ステージ ともだち』、『人間なんて』を発表。

1971年

泉谷しげるとともに音楽制作集団「サイクル・ギス」(古井戸佐藤公彦ピピ&コット)を率いていた門谷憲二が同社に合流。

10月8日、ピピ&コットがシングル「捨ててはいけないよ大切なものを / 光をください」でデビュー。

ピピ&コットの佐藤公彦はその後、ケメの愛称でソロ・デビューすることになる。


11月、泉谷しげるがライブアルバム『泉谷しげる登場』でデビュー。

生田敬太郎&マックスがアルバム『この暗い時期にも』でデビュー。

1972年

3月、古井戸がアルバム『古井戸の世界』でデビュー。

10月25日、博多から上京した「海援隊」(武田鉄矢千葉和臣中牟田俊男)がアルバム『海援隊がゆく』でデビュー。

11月丸山圭子がアルバム『そっと私は』でデビューした。

同年から「唄の市」コンサートの各地での開催が盛んになる。

1973年

5月、沖縄フォーク村の村長として活動していた佐渡山豊がアルバム『世間知らずの佐渡山豊』でデビュー。

とみたいちろう、『TAKE1』でアルバムデビュー。

1974年

2月ずうとるび、「透明人間」でレコードデビュー。

まりちゃんズ、「ブスにもブスの生き方がある」でデビュー。

ラジオ関東(現:アール・エフ・ラジオ日本)で1961年?1963年に放送されたラジオドラマ『宮本武蔵』(朗読:徳川夢声)のレコード(LP100枚組)を同局の開局15周年記念事業として発売する[12]

1975年

ニューエレックレコードに社名を変更する。

同年、大瀧詠一がプライベートレーベル「ナイアガラ・レーベル」を設立し、エレックと契約を結ぶ。

4月25日、ナイアガラからシュガー・ベイブが「DOWN TOWN」でデビュー。


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