エレクトラ・レコード
Elektra Records
親会社ワーナー・ミュージック・グループ
設立1950年
設立者ジャック・ホルツマン
エレクトラ・レコード(Elektra Records)は、アメリカのレコード会社。設立者はジャック・ホルツマン(英語版)およびポール・リックオルトで、両名が300ドルずつ出資して1950年に設立された。 1950年代から1960年代にかけて、フォークの名門レーベルのひとつとして活動。ジュディ・コリンズらを輩出した。この時期、後に独立プロデューサーとなるポール・ロスチャイルドが入社している。1960年代中盤からはロックにも進出し、ドアーズやラヴ、ストゥージズなどを輩出した。 1973年にジャック・ホルツマンが同社を離れると当時の親会社であり、元々は葬儀屋を経営していたキニー社からレコード産業に進出したワーナー・コミュニケーションズが、同社とアサイラム・レコードを合併させた。これにより同社はエレクトラ・アサイラムと改名(後にエレクトラ・エンタテインメントと再改名)。さらにアトランティックとも合併し、WEAという巨大企業になってしまう。エレクトラ担当を外れたホルツマンはディスカバリー・レコードを始めた。 エレクトラはワーナー・ミュージック・グループの一部として三十年間続けられ、2004年2月にタイム・ワーナーはワーナー・ミュージック・グループをトーマス・リー・パートナーズ、ベイン・アンド・カンパニー、エドガー・ブロンフマン・ジュニアによって設立された投資家グループに売却した。4月にWMGの新オーナーは多くのスタッフを解雇し、エレクトラ・レーベルを休止した。多くのアーティストが契約解除されたが、幾らかはWMG傘下の別レーベルと契約した。 2009年6月1日、レーベルの活動再開が発表された。手始めにフランスのエレクトロニック・デュオのジャスティス、ナールズ・バークレイの片割れであるMCのシー・ロー、英国のエレクトロ・ポップ・ミュージシャンのリトル・ブーツ ※ここではいったん活動を休止する2004年以前に在籍していたアーティストを紹介する。 1970年代、エレクトラの配給権を保持していたワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)が、同レーベルで発売した邦楽アーティスト。
概要
沿革
1950年 ジャック・ホルツマンとポール・リックオルトによりニューヨークに設立される。
1963年 サブ・レーベルであるノンサッチ・レコードを設立。
1970年 キニー・コーポレーション(後にワーナー・コミュニケーションズに改名)により買収される。
1973年 ジャック・ホルツマンが退社。アサイラム・レコードとの合併により社名がエレクトラ・アサイラムとなり、デヴィッド・ゲフィンが社長に就任。
2004年 同じワーナー・ミュージック・グループ内のアトランティック・レコードに吸収され、活動を休止。
2009年 活動再開が発表される。
現在のアーティスト
ブルーノ・マーズ
シー・ロー
シャルロット・ゲンズブール
ジャスティス
ラザ・モーガン
リトル・ブーツ
アフィ
過去の主なアーティスト
ジュディ・コリンズ
ストゥージズ
MC5
ラヴ
ドアーズ
テレヴィジョン
ジョニ・ミッチェル
キース・スウェット
ティム・バックリィ
フィル・オクス
ポール・バターフィールド・ブルース・バンド
ブレッド
カーリー・サイモン
クイーン
カーズ
ザ・キュアー
モトリー・クルー
ドッケン
メタリカ
アニタ・ベイカー
タミア
ディラーズ
ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツ
10,000マニアックス(英語版)
ジョージア・サテライツ(英語版)
ファスター・プッシーキャット
トレイシー・チャップマン
ピクシーズ
ディー・ライト
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース
ステレオラブ
サード・アイ・ブラインド
エレクトラ・レーベルの邦楽アーティスト
あのねのね
内田裕也&1815ロックンロールバンド
グレープ
さだまさし
小坂明子
クラフト
西島三重子
矢沢永吉
チャゲ&飛鳥
関連項目
ワーナー・ミュージック・グループ
アサイラム・レコード