エルンスト1世
Ernst I.
初代ザクセン=コーブルク=ゴータ公
在位1826年 ? 1844年
別号ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公
在位1806年 ? 1826年
出生 (1784-01-02) 1784年1月2日
神聖ローマ帝国
ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公領、コーブルク
死去 (1844-01-29) 1844年1月29日(60歳没)
ザクセン=コーブルク=ゴータ公国、ゴータ
埋葬 ザクセン=コーブルク=ゴータ公国、コーブルク、モーリッツ教会
配偶者ルイーゼ・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルク
マリー・フォン・ヴュルテンベルク
子女エルンスト2世
アルブレヒト
家名ザクセン=コーブルク=ゴータ家
父親ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公フランツ・フリードリヒ
母親アウグステ・ロイス・ツー・エーベルスドルフ
テンプレートを表示
エルンスト1世(Ernst I., 1784年1月2日 - 1844年1月29日)は、ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公(在位:1806年 ? 1826年)、後に初代ザクセン=コーブルク=ゴータ公(在位:1826年 ? 1844年)。全名はエルンスト・アントン・カール・ルートヴィヒ(Ernst Anton Karl Ludwig)。 エルンストはザクセン=コーブルク=ザールフェルト公
生涯
1817年、ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公アウグストの娘ルイーゼとゴータで結婚した。ルイーゼとの間にはエルンスト2世、姪のヴィクトリア女王の王配となるアルブレヒト(英語名アルバート)の2人の男子が生まれたが、エルンストの女好きが原因で夫婦仲は良くなかった。
ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公アウグストには男子がなかったので、1822年にアウグストの弟フリードリヒ4世が公位を継承したが、フリードリヒにも子がなかった。1825年にフリードリヒ4世が死去し、ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公家が断絶すると、同族であるヴェッティン家のザクセン諸侯
が所領を分配することとなった。エルンストはゴータを獲得し、1826年に称号をザクセン=コーブルク=ゴータ公と改めた。こうして2つの公国の同君連合としてザクセン=コーブルク=ゴータ公国が成立した。なお、同年にエルンストはルイーゼと離婚している。1832年、エルンストは姉アントイネッテとヴュルテンベルク公子アレクサンダーの娘で、自身の姪に当たるマリーとコーブルクで結婚した。