エルラダンとエルロヒア
[Wikipedia|▼Menu]

エルラダン(Elladan、第三紀130年 - )とエルロヒア(Elrohir、第三紀130年 - )は、J・R・R・トールキン中つ国を舞台とした小説、『指輪物語』の登場人物。裂け谷の領主エルロンドの息子たちで、黒髪と灰色の瞳をもち、おそらく双子である。オークを憎む戦士であり、アルノール野伏と親しんだ。指輪戦争ではエレッサール王とともに死者の道を通り、ペレンノール野の合戦に駆けつけた。

エルラダンはシンダール語で、「エルフ人間」あるいは「エルフ、ヌーメノール人」を意味し、半エルフであるかれの血統を示している。エルロヒアはシンダール語で、「エルフの馬の司」あるいは「エルフの騎士」を意味する。

父は半エルフエルロンド。母は森の奥方ガラドリエルの娘ケレブリーアン。妹にアルウェンがいる。
ドゥーネダインとの共闘

エルラダンとエルロヒアは第三紀の130年に、裂け谷の領主エルロンドと、ロスローリエンの領主の娘ケレブリーアンとの間に生まれた。2509年に母ケレブリーアンはロスローリエンへの旅の途中、赤角山道においてオークの一団に捕らわれた。エルラダンとエルロヒアは母を救出したが、かの女は拷問を受け、また毒の傷をえていた。エルロンドは妻の肉体の傷を癒したが、かの女は二度と中つ国に喜びを見いださなかった。翌2510年、ケレブリーアンは海を渡り、アマンへと旅立った。このことからエルラダンとエルロヒアはオークを憎み、北方王国の残党である野伏たちと共にエリアドールに出没するオークと戦った。
指輪戦争

3018年10月25日、エルロンドの会議が終ると、エルラダンとエルロヒアはアラゴルンと共にサルバド周辺まで偵察を行った。それから二人だけでロスローリエンに向かい、最も遅れて裂け谷に戻った。

ホビット庄暦の3019年2月、ガラドリエルからの伝言を受けたエルロンドは、ハルバラドらドゥーネダインを召集し、エルラダンとエルロヒアとともにローハンへと向かわせた。3月6日、30人のドゥーネダインとかれらは、アイゼンの浅瀬の近くで、セオデンと共にいたアラゴルンと合流した。エルロヒアは死者の道についてのエルロンドの伝言を伝えた。二人はこれ以後指輪戦争の終結までアラゴルンと行動を共にする。3月8日、アラゴルンは死者の道を通ってエレヒに到着し、死者の軍勢を召集した。13日にはペラルギアでウンバールの海賊から船を奪い、15日にはペレンノール野の戦いに駆けつけた。戦いのあとミナス・ティリスに入場するアラゴルンは、エレンディルミアをエルラダンとエルロヒアに預けた。療病院でゴンドールの民から治療を乞われたアラゴルンは、二人と共に夜遅くまで治療に務めた。3月18日にアラゴルン率いる西軍はミナス・ティリスを発ち、25日にモランノンの戦いが行われた。一つの指輪は破壊され、エルラダンとエルロヒアも生き残った。

4月8日のコルマルレンの野の栄誉礼と、5月1日のエレッサール王の戴冠のあと、エルラダンとエルロヒアは、エオメルエオウィンとともにローハンへと発った。夏至の前日にエルロンドとアルウェンとともにミナス・ティリスに戻り、アルウェンは夏至の日にアラゴルンと婚礼を行った。8月10日にエドラスにてセオデンの葬儀があり、14日にかれらはエドラスを発った。裂け谷への帰還は9月21日。
第四紀

3021年にエルロンドが中つ国を去ったあとも、エルラダンとエルロヒアは裂け谷に留まった。かれらの祖父ケレボルンも、ガラドリエルが去ってしばらくすると、ロスローリエンを立ち去って、しばしの間裂け谷に住んだ。半エルフであるエルラダンとエルロヒアは妹のアルウェンと同様に、中つ国にとどまるなら人間の運命を、西方に去るならエルフの運命を選ぶことができたが、かれらがどのような決定をしたのかは分からない。
半エルフの系図

フィンウェ インディス   ハドル家  ベオル家 シンゴル メリアン
    
                              

  フィンゴルフィン アナイレ ガルドール  バラヒア         
  
                              

エレンウェ トゥアゴン   フオル  ベレン   ルーシエン  
      
                             

  イドリル     トゥオル ニムロス ディオル     


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:13 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef