エルミタージュ美術館
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エルミタージュ美術館
Государственный Эрмитаж
ネヴァ川から見たエルミタージュ美術館
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施設情報
正式名称Государственный Эрмитаж
来館者数4,119,103人 (2016年)[1]
開館1764年
所在地38 Palace Embankment, Dvortsovy Municipal Okrug , Cental District, Saint Petersburg
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯59度56分26秒 東経30度18分49秒 / 北緯59.94056度 東経30.31361度 / 59.94056; 30.31361座標: 北緯59度56分26秒 東経30度18分49秒 / 北緯59.94056度 東経30.31361度 / 59.94056; 30.31361
外部リンク ⇒公式ウェブサイト
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エルミタージュ美術館(エルミタージュびじゅつかん、: Эрмитаж [?rm???ta?] ( 音声ファイル) エルミターシ、: Hermitage Museum)は、サンクトペテルブルクにあるロシア国立美術館。1990年に世界遺産サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群)に包括登録されている。
名称

ロシア語の正式名称はГосударственный Эрмитаж(国立エルミタージュ)。「エルミタージュ」とはフランス語でHermitage、(隠遁者/世捨て人の部屋)という意味である。
概要

小エルミタージュ(Малый Эрмитаж)、旧エルミタージュ(Старый Эрмитаж)、新エルミタージュ(Новый Эрмитаж)、エルミタージュ劇場(Эрмитажный театр)、冬宮殿(Зимний дворец)の5つの建物が一体となって構成されており、現在本館となっている冬宮殿はロマノフ朝時代の王宮である。ネヴァ川(観光客が列を作って並ぶ宮殿広場の反対側)から見たエルミタージュ美術館の建物群:左から、エルミタージュ劇場 ? 旧エルミタージュ ? 小エルミタージュ ? 冬宮殿 (新エルミタージュは旧エルミタージュの背後にある。)
歴史美術館内部

1764年エカチェリーナ2世ドイツの画商ゴツコフスキーが売り出した美術品を買い取ったのが、エルミタージュ・コレクションのはじまりである[2][3][4]

エカチェリーナによって冬宮殿の隣に自身専用の美術品展示室が建てられた(小エルミタージュ、1775年)。エルミタージュは当時のフランス貴族が建てた個人的な離宮を意味した(例としてヴェルサイユプチトリアノン)。その後もエカチェリーナのコレクションは増加したため、東隣に施設が増築された(旧エルミタージュ、1787年)。なお、劇場も同じ頃に建設されたものである(エルミタージュ劇場、1786年)。

私的なコレクションであり、当時は一般公開されていなかったが、(アレクサンドル2世当時の)1863年に初代館長となったゲデオーノフによって市民も自由に観覧できるようになった[5]。これと前後して新たに施設が増築された(新エルミタージュ、1864年完成)

1917年のロシア革命後は貴族から没収されたコレクションの集積所となった。1918年には冬宮殿に存在した全ての研究、管理組織を建物共々、エルミタージュ美術館として統合することが決定された。この統合作業は第二次世界大戦後に完了した[5]。1930年代には外貨の獲得を目的に政府によって西側諸国への所蔵品の売却が行われている。

2014年12月、近接する旧参謀本部の建物を改修して新館がオープンし、印象派を中心に展示している。
主な所蔵作品
絵画Category:エルミタージュ美術館所蔵の絵画も参照
イタリア

フィリッポ・リッピ聖アウグスティヌスの幻視

レオナルド・ダ・ヴィンチブノアの聖母』、『リッタの聖母

ラファエロコネスタビレの聖母』、『聖母子と髭のない聖ヨセフ

ジョルジョーネユディト

フランチェスコ・メルツィフローラ

ティツィアーノダナエ』、『悔悛するマグダラのマリア』、『祝福するキリスト』、『聖セバスティアヌス

カラヴァッジオ『リュートを弾く若者』

アンニーバレ・カラッチキリストの墓を訪れた三人のマリア』、『エジプト逃避途上の休息

グエルチーノ聖母被昇天』、『聖カタリナの殉教


フラ・アンジェリコ聖母子と聖ドミニクス、聖トマス・アクィナス』1435年頃

レオナルド・ダ・ヴィンチブノアの聖母』1478年

レオナルド・ダ・ヴィンチ『リッタの聖母』1490-1491年

ラファエロコネスタビレの聖母』 1504年

ラファエロ『聖母子と髭のない聖ヨセフ』1506年


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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