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出典検索?: "エルベ川" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2020年5月)
エルベ川
水系エルベ川
延長1,091 km
平均流量711 m³/s
(河口)
流域面積148,268 km²
水源ステーティ山地(チェコ)
水源の標高1,386 m
河口・合流先北海(ドイツ)
流域ポーランド、オーストリア
チェコ、ドイツ
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流域ザクセンスイス、ドイツ ハンブルク港、ドイツ
エルベ川(エルベがわ、ポーランド語: ?aba、ポーランド語発音: [?waba]、チェコ語: Labe、チェコ語発音: [?lab?]、ドイツ語: Elbe、低ザクセン語: De Elv)は、チェコ北部およびドイツ東部を流れ北海へと注ぐ国際河川である。全長約1,091kmはヨーロッパでは14番目に長く、このうち727kmがドイツ国内を占める。 ポーランド、チェコ国境地帯のズデーテン山地に源を発し、チェコ北部、ドイツ東部を北へ流れ、ハンブルクから110キロメートル北西のクックスハーフェン付近(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯53度55分20秒 東経8度43分20秒 / 北緯53.92222度 東経8.72222度 / 53.92222; 8.72222
地理
ハンブルク南東付近にはエルベ・リューベック運河(英語版)が延び、バルト海南西部リューベック湾との間を結んでいる。河口付近にはキール運河があり、バルト海のキール湾に接続している。
下流域は温帯海洋性気候に属する。ドイツのザクセン=アンハルト州、ブランデンブルク州、ニーダーザクセン州、メクレンブルク=フォアポンメルン州、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の5つの州を跨ぐエルベ川流域はユネスコの生物圏保護区に指定されている[2]。また、流域の湿地にコハクチョウ、オオハクチョウ、ヒシクイ、マガン、クロヅル、ハシビロガモ、オナガガモ、ホシハジロなどが生息しているため[3][4]、ザクセン=アンハルト州の「アラント・エルベ低地(ドイツ語版)とイェリホー(ドイツ語版)のエルベ氾濫原」[3]、ニーダーザクセン州の「エルベの氾濫原、シュナッケンブルク(ドイツ語版)・ラウェンブルク(ドイツ語版)」[5]と「エルベ下流部(ドイツ語版)、バルンクルーク(ドイツ語版)・オッテルンドルフ」[6]、ハンブルクの「ミューレンベルガー・ロッホ(ドイツ語版)」[4]はラムサール条約登録地である。 かつてゲルマン系のアレマン人が原住地のスカンジナヴィア半島およびユトランド半島から南下して、エルベ川流域に在住していたが、3世紀ごろにローマ帝国に侵入するために、地形的に便利な西部ドイツのライン川の上・中流域に民族移住した。 また、スラヴ系(西スラヴ人)のソルブ人も先住民として在住していたが、次第にドイツ人と同化した。さらに北西ドイツ地域からザクセン人の一派も移住してきた[7]。 19世紀までは、エルベ川がヨーロッパの東西を隔てる、大きな境界線の一つであった。エルベ以東の代表的な国がプロイセン王国、オーストリア・ハンガリー帝国、ロシア帝国。一方以西の国はフランス、イギリスなどでエルベを挟んで、地域の実情が大きく異なっていた。
歴史