エルブロンク
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Elbl?g
Old Town



紋章

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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯54度10分0秒 東経19度24分0秒 / 北緯54.16667度 東経19.40000度 / 54.16667; 19.40000
ポーランド
ヴァルミア=マズールィ県
郡city county
Established1237
City rights1246
政府
 ? 市長ヴィトルト・ヴルブレフスキ(ポーランド語版)
面積
 ? 合計7,982 km2
人口(2021年12月31日[1]
 ? 合計117,390人
等時帯UTC+1 (CET)
 ? 夏時間UTC+2 (CEST)
郵便番号82-300 to 82-315
市外局番+48 55
カープレートNE
ウェブサイトhttps://www.elblag.eu
13世紀頃の、プルーセン人部族を色分けしたもの

エルブロンク (: Elbl?g [??lbl??k] ( 音声ファイル)、: Elbing、: Elbinga)は、ポーランド北部の港湾都市[2]ヴァルミア=マズールィ県に属し、エルブロンク郡の郡都である。1975年まではグダンスク県の県都、1998年までエルブロンク県の県都であった。

市は、およそ10キロメートル北のヴィストゥラ潟へ注ぐエルブロンク川に面した港湾を持つ。こことバルト海の間にあるビスワ砂州の付け根に深さ運河がつくられ2022年9月27日に開通記念式典が催され、エルブロンクへの航路の浚渫も行なわれている[2]。かつては船舶がロシア連邦飛び地領土カリーニングラード州が管轄する砂州北東部にある海峡[2]バルチースク水道)を経由しなければならなかったが、ロシア連邦による航行妨害が相次ぎ、ポーランド領海のみを経由する運河を開鑿した[2]
概要

初めてエルブロンクの前身であるイルフィング(Ilfing)がThe Voyages of Ohthere and Wulfstanアルフレッド大王時代に、アングロサクソン語で書かれた)に書かれた。これは、この地方を訪れたヴァイキングからの情報を元としていた。

中世ヨーロッパプルーセン人の定住地トルソはドルズノ湖に近接していた。現在のエルブロンクはプルーセン人の一部族ポゲサニア(en)の土地にあった。定住地は10世紀に焼け落ちた[3]ドイツ騎士団が地方を征服、そして住民らはその過程で追い散らされた。騎士団は湖畔に城を築き、エルビング(Elbing)の町を築いた。ここに移り住んだのは、リューベック出身の者がほとんどだった。現在の湖はさらに小さくなり、もはや市には達しない。ドイツ騎士団の敗退と住民による城の破壊の後、1466年に市はポーランド王国の宗主権の元へ入った。1772年にはプロイセン王国、1871年にはドイツ帝国の一部であった。

第二次世界大戦独ソ戦)でエルビングは壊滅的な被害を受け、戦争末期にはドイツ系のエルビング住民がドイツ人追放によって市を追われた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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