紋章地図
基本情報
連邦州:テューリンゲン州
郡:郡独立市
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯50度58分41秒 東経11度1分45秒 / 北緯50.97806度 東経11.02917度 / 50.97806; 11.02917
213,227人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:792 人/km2
郵便番号:99001 - 99198 (旧: 50xx)
市外局番:0361, 036201, 036202, 036203, 036204, 036208,
ナンバープレート:EF
自治体コード:16 0 51 000
市庁舎の住所:Landeshauptstadt Erfurt
Stadtverwaltung
99111 Erfurt
公式ウェブサイト: ⇒www.erfurt.de
E-Mail:stadtverwaltung@erfurt.de
行政
上級市長:アンドレアス・バウゼヴァイン (Andreas Bausewein) (SPD)
州内の位置
エアフルト(Erfurt [???f??t] ( 音声ファイル))は、ドイツ中央部の町でテューリンゲン州の州都である。人口は約21万人、エアフルト、ヴァイマル、イェーナにわたる州都圏にはおよそ50万人が住んでいる。エルフルトとも呼ばれる。
東ドイツ時代にはエアフルト県の県都が置かれていた。 エアフルトは、ウンシュトルト川の左岸支流で全長85kmのゲーラ川の流域にあり、なだらかな丘陵地帯に位置する。この丘陵地帯はドイツ中央部の平野がその南側に位置するテューリンゲンの森に移行する途中にあたる。エアフルトの西30kmにはアイゼナハ、東20kmには世界遺産を擁するヴァイマル、さらにその東20kmには古い大学町のイェーナがある。地名はErphesfurt(742)、Erfesfurt(802)、Erpesfurt(805)と書かれてきた。furt はFrankfurt(フランクフルト)をはじめ多くの地名に使われている語で「(歩いて渡れる)浅瀬」を意味する。古高ドイツ語erphは>dunkelfarbig<「暗色の、黒っぽい」、>braunlich<「褐色がかった、茶色味をおびた」を意味する。ゲーラ川(die Gera)のエアフルトを流れる部分ないし、ゲーラ川をErphesaと呼んだのではないかとの推測がなされている[2]。 この都市はライプツィヒの南西100km、ベルリンの南西300km、ミュンヘンの北400km、フランクフルトの北東250kmに位置し、13世紀ころには、すでにヨーロッパの交通・交易の要所として繁栄していた。それはこの土地が、長い期間にわたって文化の交差点であったことを意味し、それを象徴する建造物がクレーマー橋である。もとは木製の橋がかかっており (1100年頃建造)、1325年に市が架け替えて現在の原型ができたという[3]。橋上の両側に商店が建ち並ぶ構造[4]はフィレンツェのヴェッキオ橋に似ており、屋根付橋ではない。この様式の建造物としてはヨーロッパでも数少ない文化遺産のひとつである[3]。 このようにエアフルトが文化の交差点となり得たのは地理的な条件もあるが、アイ (Isatis tinctoria L.) の産地の中心にあり、市内のドイツ園芸博物館 Deutsche Gartenbaumuseum
地勢
文化北側から見たクレーマー橋1900年頃のエアフルト
第二次世界大戦の戦火をまぬかれた旧市街には中世から近代にいたる各時代の荘厳な建築物が林立し、「建築物の博物館」と評する建築家もいる。旧市街のすぐ隣には17世紀から19世紀にかけて造営されたペテルスベルク要塞(ツィタデレ・ペテルスベルク)があり、大規模かつ保存状態のよい防備施設を見学することができる。
エアフルトは、テューリンゲン地方の名物料理であるブラートヴルスト(粗びきソーセージ)やクロース(ジャガイモ生地の団子)のみならず、庭園・園芸都市としての伝統に培われたソラマメやクレソンを活用した料理でも有名である。
ゴシック様式のエアフルト大学旧校舎 (復元)[6]
ルネサンス様式のダケレーデン邸 (旧ルシウス邸)
バロック様式のテューリンゲン州庁舎 (1727年建築)
アイの葉を加工するひき臼 (ドイツ園芸博物館)
エアフルトがドイツのスポーツ文化の一拠点であることは、あまり知られていない。ウインタースポーツが中心であるが、特に盛んなのはアイススケートである。近郊のオーバーホフではしばしばノルディックスキーの国際大会が開催される。プロサッカークラブのロートヴァイス・エアフルトは、旧東ドイツ時代に成立した有力クラブであり、東西ドイツの統一後はブンデスリーガ2部とレギオナルリーガ(3部)を行き来している。
宗教大聖堂
宗教改革を行ったマルティン・ルターは、学生時代の1501年から1505年までエアフルト大学に在籍し、哲学を学んだ。彼が修道者を志したのは、エアフルト近郊のシュトッテルンハイムの草原で落雷の危機に会いながらも生還したことがきっかけであった。その意味でエアフルトは宗教改革の原点となった地とも言える。 エアフルトの中世ユダヤ人関連遺産
ユダヤ人
(ドイツ)
英名Jewish-Medieval Heritage of Erfurt
仏名Patrimoine medieval juif d’Erfurt
登録区分文化遺産
登録基準(4)
登録年2023年
(第45回世界遺産委員会)
公式サイト世界遺産センター
使用方法・表示
11世紀末から14世紀半ばのポグロムの時期にかけて、市内にはユダヤ人のコミュニティがあり、現在もシナゴーグのアルテ・シナゴーグ(英語版)、ミクワーと石の部屋の3つの遺構が残っている。中世の中央ヨーロッパにおけるユダヤ教徒と多数派のキリスト教徒との共存を示す記録として、2023年にユネスコの世界遺産に登録された[7]。 「チューリンゲン地方の中心地であると同時に古くからある複数の遠隔地街道の抜群の交差点である」(エネン)。この地域には既に6世紀・7世紀に人が居住していた痕跡が残っている。725年頃、ボニファティウスは浅瀬沿いのドームヒューゲル(Domhugel)に教会を建立したが、ペータースベルク(Petersberg)には彼以前に教会が建てられていたとされる[8]。
世界遺産の登録基準からの翻訳、引用である)。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
歴史
中世・近代