エルパソ_(テキサス州)
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エルパソ市
City of El Paso


市旗市章

愛称 : The Sun City(太陽の街), El Chuco
位置

右上: テキサス州におけるエルパソ郡の位置
左: エルパソ郡におけるエルパソの市域
位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度45分35秒 西経106度29分19秒 / 北緯31.75972度 西経106.48861度 / 31.75972; -106.48861
歴史
創設1680年
行政
アメリカ合衆国
 州テキサス州
 郡エルパソ郡
 市エルパソ市
市長オスカー・リーサー(英語版)
地理
面積 
  市域663.7 km2 (256.3 mi2)
    陸上  661.1 km2 (255.3 mi2)
    水面  2.6 km2 (1.0 mi2)
標高1,135 m (3,725 ft)
人口
人口2020年現在)
  市域678,815人
    人口密度  1,026.8人/km2(2,658.9人/mi2)
  都市圏868,859人
  備考全米都市人口第23位
その他
等時帯山岳部標準時 (UTC-7)
夏時間山岳部夏時間 (UTC-6)
公式ウェブサイト : https://www.elpasotexas.gov/

エルパソ(El Paso [?l ?paso?]スペイン語で「」の意)は、アメリカ合衆国テキサス州最西端に位置する都市。メキシコとの国境となっているリオグランデ川の北東岸、シウダー・フアレスの対岸に立地し、市の西と北はニューメキシコ州との州境に接する。ヒューストンロサンゼルスのほぼ中間にあり、そのいずれからも1,100km前後の距離である。また、州都オースティンダラスフォートワースよりもアルバカーキフェニックスに近く、等時帯も山岳部標準時/夏時間に属している。人口は678,815人(2020年国勢調査[1]で、テキサス州ではヒューストン、サンアントニオ、ダラス、オースティン、フォートワースに次いで第6、全米では第23位である。市の人口の約8割がヒスパニックまたはラテン系である[1]。エルパソに郡庁を置くエルパソ郡、およびハズペス郡の2郡にまたがる都市圏は868,859人、ニューメキシコ州ラスクルーセス、およびニューメキシコ州内の郊外都市を含む広域都市圏は1,088,420人の人口を抱えている(いずれも2020年国勢調査)[2]

この地の歴史は古く、10,000年前には既に、古代のネイティブ・アメリカンが住み着き、12世紀中盤には農耕も行われていたと考えられている。やがて16世紀に入るとスペイン人の入植が始まり、1680年にはスペイン人によってイズレタ伝道所が建てられた。南北戦争の終結後には、エルパソに相次いで鉄道が開通し、鉱業をはじめとする産業が発展し、人口が急増した。1930年代には世界恐慌の打撃を受けて人口が減少したものの、第二次世界大戦中およびその後の軍拡、および近隣地域での油田の発見によって、20世紀中盤に入ると再び成長した。今日では、エルパソはメキシコとの貿易の一大拠点として、またテキサス州西部およびニューメキシコ州南部の広い範囲にわたる地域の経済・医療・交通・教育・文化の中心地として発展を遂げている。
歴史

今日のエルパソ市の北東にあるフエコ・タンクス州立公園・史跡で発掘された、 狩猟採集社会であったフォルサム文化尖頭器に見られるように、この地にはヨーロッパ人が入植するはるか以前、およそ10,000年前には、人類が住み着いていたと考えられている。1150年頃には、フエコ・タンクスの水を利用して農耕が行われ、トウモロコシカボチャ等の作物が生産されていた[3]。やがて16世紀スペイン人の入植が始まった頃には、この地にはマンソ族、スマ族、およびジュマノ族のネイティブ・アメリカンが住み着いていた。やがてこれらの部族は、メキシコ中央部からの移民たち、コマンチェリアの捕虜たち、およびgenizaro と呼ばれた様々な部族の奴隷たちと共に、メスティーソの文化に組み入れられていった。また、「メスカレロアパッチ」と呼ばれる、アパッチの亜族も住み着いていた。1680年にスペインによって建てられたイズレタ伝道所

1550年1552年という説もある)にサカテカスで生まれ、1598年ヌエバ・エスパーニャの探検家として初めて、現在のエルパソ近くでリオグランデ川を測量したことで知られるスペイン人探検家フアン・デ・オニャーテ[4]ピルグリム・ファーザーズのそれよりも数十年早い同年4月30日、この地で感謝祭ミサを祝った。しかし、パンフィロ・デ・ナルバエスによるフロリダ遠征の生き残り4名(アルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカ、アロンソ・デル・カスティーリョ・マルドナード、アンドレス・ドランテス・デ・カランサ、およびエステバニコ)は、それよりも早く、1530年代中盤にこの地を通過したとも考えられている[5]1659年には、フレイ・ガルシア・デ・サンフランシスコがリオ・ブラボー・デ・ノルテ(リオグランデ川)の南岸にエルパソ・デル・ノルテ(現シウダー・フアレス)を創設した。1680年プエブロの反乱の結果、まだ小さな村であったエルパソにスペイン領ニューメキシコの臨時首都が置かれた。その後1692年にスペインがサンタフェを再占領すると、ニューメキシコの首都はサンタフェに戻された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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