エルクハート市
City of Elkhart
エルクハートのダウンタウン
愛称 : The City with a Heart(心のある街)
RV Capital of the World(世界のRVの都)
位置
左: インディアナ州におけるエルクハート郡の位置
右: エルクハート郡におけるエルクハートの市域
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度40分59秒 西経85度58分8秒 / 北緯41.68306度 西経85.96889度 / 41.68306; -85.96889
エルクハート(エルカート[1][2]とも、Elkhart [??lk?rt])は、アメリカ合衆国インディアナ州北端部に位置する都市。サウスベンドの東約24km、シカゴの東約145km、州都インディアナポリスの北約220kmに位置する。人口は53,923人(2020年国勢調査)[3]。都市圏はエルクハート郡1郡のみで成っており、人口207,047人(2020年国勢調査)[4]を抱える。より広域的には、エルクハートはサウスベンドの広域都市圏に含まれており、その人口は812,199人(2020年国勢調査)[5]を数える。
19世紀後期から20世紀中盤にかけてのエルクハートは楽器製造で知られ、Band Instrument Capital of the World(世界のバンド楽器の都)と呼ばれた。20世紀も後半に入ると楽器製造は衰退したが、代わって発展していったレクリエーショナル・ビークル(RV)製造会社が現在も多く集積しており、RV Capital of the World(世界のRVの都)と呼ばれている。市にはRV、およびそこから分化したマニュファクチャード・ハウジング(MH)の製造業に貢献した者を讃えるRV/MH殿堂もある。また、エルクハートは、カンザス州ニュートンと共に、アメリカ合衆国内では最大のメノナイト系教会である、メノナイト教会USAの本部が置かれている地でもある[6]。
なお、エルクハート市はエルクハート郡と同名であり、かつ同郡で最多の人口を抱える自治体であるが、郡庁所在地ではない。エルクハート郡の郡庁は、南東へ約16km離れた、郡中央部のゴーシェンに置かれている。 エルクハートという市名・郡名の由来については諸説あるが、最も有力な説の1つは、ショーニー族の酋長エルクハートに由来する、というものである。エルクハート酋長は有名なテカムセ酋長の従兄弟にあたり、また、本市とサウスベンドとの中間に位置するミシャワカ市の由来となったミシャワカ「王女」の父である[7]。一方、セントジョセフ川とエルクハート川との合流点近くに形成されている中洲の形がエルクの心臓に似ていたから、という説もある[8]。 1787年に北西部領土が創設された時、今日のエルクハート市があるこの地には、オタワ族、チペワ族、ポタワトミ族等のネイティブ・アメリカンが住み着いていた。やがて、17世紀にイギリスから移入してきた清教徒たちの子孫が、人口過密になってきたニューイングランドからこの地に移入し、エルクハート郡を創設した[7]。 1829年、セントジョセフ川の北岸に、郵便局と水車小屋、何軒かの人家から成るプラスキの村が創設された。一方、オハイオ州から西進してこの地に移入した医師、ハビラ・ベアードリーは、フランス人入植者とポタワトミ族酋長との混血であるピエール・モランから、この地に町を創るべく、1821年8月9日に1mi2(2.6km2)の土地を購入していた。やがて、プラスキの村に対抗するかのように、1832年4月30日、48区画から成るエルクハートの町が創設された[9]。1839年、プラスキ郵便局は正式にエルクハートという名に改められた[10]。1851年にミシガン・サザン・アンド・ノーザン・インディアナ鉄道が開通すると、エルクハートの人口は大きく増加した。1867年には、エルクハート水力会社(Elkhart Hydraulic Company)がセントジョセフ川に最初のダムを建設し、その3年後の1870年にはこのダムで水力発電が開始された[8]。C・G・コン・バンド楽器社の工場(1877年) 19世紀後期に入ると、エルクハートでは楽器製造が発展し、やがて「世界のバンド楽器の都」と呼ばれるようになった。エルクハートにおける楽器製造は、もともとは南北戦争で北軍について戦った退役軍人(最終階級は大佐)で、コルネット奏者でもあったチャールズ・ジェラルド・コンが始めたものであった。コンは、南北戦争から復員し、エルクハートに帰還した直後、自らのコロネットを演奏中に唇を怪我したことをきっかけに、ゴム製のマウスピースを開発し、1875年にその特許を取得した。やがてコンは、マウスピースのみならず、改良を加えたコルネットも、自らの工場で生産し始めた[11][12]。19世紀も終わる頃には、楽器製造業はエルクハートに深く根付き、ヨーロッパの楽器メーカーとも渡り合った[11]。第一次世界大戦中には、軍楽隊の需要で、エルクハートの楽器製造業が大きく成長した。第一次世界大戦後、1920年代に入ると、ジャズ文化が花開き、特にサクソフォーンの需要が高まった[13]。
地名の由来
歴史ハビラ・ベアードリー