エリとは、回遊する魚が障害物に当たるとそれに平行に泳ぐ習性を利用して迷路状の網に誘導し、その最深部にある捕魚部に迷い込んだところをタモ網などで掬い上げるエリ漁に用いる漁具である[1][2]。エリには国字の?が当てられるが、かつては江利と書くこともあった[2][3]。
このような漁具は迷入陥穽漁具と呼ばれモンスーンアジア地域で広く用いられている。日本に限っても北は猪苗代湖から南の川内川まで各地の湖・海・川でみられるが[4]、特に琵琶湖のエリは大型で高度に発達しており、琵琶湖の漁撈文化の象徴となっている[5][6]。なお、各地での呼び名は様々であるが、エリの呼称は琵琶湖の他に三方五湖や巨椋池でもみられる[4]。
以下、本記事では琵琶湖のエリについて記述する。
概要エリの種類
右からヨシ帯の設置するハネコミ、内湖の入口に設置する江口エリ、沖に伸ばして設置する湖エリ(ズットイキ)古くからエリで捕られたフナは鮒寿司に加工されたが、鮒寿司に適したフナは卵持ちである[7]。「琵琶湖#漁撈と食文化」も参照
琵琶湖周辺には古来より淡水魚を食べる文化があったが、その漁業規模は小さく漁業者も半農半漁の家族経営で、俗に「オカズトリ」と呼ばれた。そうした生業から琵琶湖では農業の傍らできる「待ち漁法」が発達したが、エリ漁もその一つである[8][9]。琵琶湖のエリは、湖岸から沖に張り出すように設置される「湖(うみ)エリ」と、河口部や内湖の入口に設置される「江口(えぐち)エリ」の2種があり、一般的には湖エリが知られている[1]。
エリ漁の最盛期は3月から6月までだが、これは主な漁獲対象であるゲンゴロウブナとニゴロブナの産卵期にあたる。ゲンゴロウブナは沖合の表層、ニゴロブナは沖合の底近を生息域とするが、産卵期には湖岸のヨシ帯に向かう[10][1]。これを捕らえるための初源的なエリはヨシ帯に設置されていたが、時代が降ると味がよい抱卵状態で捉えやすい沖へ徐々に延ばされ、長大な湖エリに発展していったと考えられている[1]。
かつてのエリ漁は春のエリ建てから始まった。エリは割竹をシュロ紐やワラ紐で編んだ簀(す)によって造られ、その網目の広さにより荒目エリと細目エリの区別があった[注 1]。荒目エリではフナを主としてコイ・ナマズを、細目エリはコアユを主にモロコ[注 2]・エビ・イサザが漁獲対象である[11]。現在は簀の代わりに網を用いており、ほとんどが細目エリである。また氷魚[注 3]も対象となって、漁期は11月21日から8月10日までになり、その前にエリ建てが始まる[11]。
エリを建てるのには、浅く穏やかで泥底質な場所が適している。特に琵琶湖の北湖と南湖を結ぶくびれた部分で盛んに行われ、大きく複雑なエリが建てられた[1][11]。最も大きいエリは長さ700間(約1,300メートル)に及び、捕魚部を備える傘は数段重ねられ迷路状構造も複雑であった[6]。
エリは水の流れが強くて壊れたり、逆に弱くて魚が逃げたりしないように流れを読んで建てる必要があり、その知識をもつ技術集団はエリ師と呼ばれた。エリ師のリーダーは棟梁と呼ばれるが、棟梁は最もエリ漁が盛んな守山市木浜(このはま)に多く、木浜は「エリの親郷(おやごう)」と呼ばれた[11]。エリ師は昭和期に宍道湖や霞ヶ浦までエリ建てにいった記録が残っているが、こうした行為は古来から行われ琵琶湖のエリの技術が近畿地方から北陸地方まで広く伝播していったと考えられる[6]。
構造と部分名称湖エリ(ウチマタゲ)の部分名称
空間の名称:
ホーライ
カガミ
オボライ
コボライ
ツボ
ナグチ(入口)の名称:
オオナグチ
カガミナグチ
オボライナグチ
コボライナグチ
ツボナグチ
簀の名称:
ハリス(ミチス)
セガワ