エリック・マーティン
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エリック・マーティン
Eric Martin
Mr. Big - ドイツ・ヴァッケン公演(2018年8月)
基本情報
出生名Eric Lee Martin
生誕 (1960-10-10) 1960年10月10日(63歳)
出身地 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ロングアイランド
ジャンルハードロック
職業ミュージシャン
シンガーソングライター
担当楽器ボーカルギター
活動期間1978年 - 現在
レーベルエレクトラ・レコード
キャピトル・レコード
アトランティック・レコード
ポニーキャニオン・インターナショナル
Frontiers Records
ソニー・ミュージックジャパン・インターナショナル
共同作業者MR. BIG
TMG
Eric Martin Band
公式サイト ⇒ericmartin.com

エリック・マーティン(Eric Martin、1960年10月10日 - )は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャンシンガーソングライター

ハードロックバンドMR. BIG」のメンバー。ソロのボーカリストとしても活動。日本のレーベルから多くの作品を発表しており、外部にも数多くの客演がある。
来歴.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "エリック・マーティン" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年2月)

生い立ち

ニューヨーク州ロングアイランド生まれだが父親が軍人であったため、台湾、ワシントン、カンサスと移り住み、多感な少年期はヨーロッパで過ごした。イタリアに住んでいた頃にロックに触れ、ドラマー、またシンガーとしてカバー・バンド活動をしていた。ジャズ・ドラマーだった父の影響で、10代の頃はドラムをプレイしていた。ある日、バンドのシンガーよりも上手く歌える気がして歌ってみたところ、好評だったことからシンガーに転向したという。初めて観に行ったコンサートはアメリカ。2度目はクイーン
ERIC MARTIN BAND

エリックが15歳頃に一家はアメリカ・サクラメントに移住。サクラメントでのバンド活動から始め、やがてサンフランシスコの人気バンド「KID COURAGE」に加入した。この時、後に長きに渡りエリックのマネージャーを務めることになる、サンディ・アインシュタインと出会っている。サンディによれば、KID COURAGEに電話で応募してきたエリックは、声の印象で女の子かと思った、実際に会ったらチンピラのようだった、という[1]。しかし、「スター気取りで素行が悪い」という理由でKID COURAGEを解雇される。

一度ロサンゼルスに移った後にサンフランシスコへ戻り、「MILE HI」に加入し、バンド名を「415」(サンフランシスコの電話の市外局番が由来)と改め活動。このバンドもサンディが担当しており、ハービー・ハバート率いる「ナイトメア・マネージメント」に所属、エレクトラからデビューする際にマネージャーの提案でERIC MARTIN BANDと改名し、1983年に『SUCKER FOR A PRETTY FACE』を発表。

同1983年、日本のハードロックバンドEARTHSHAKERサンフランシスコでのレコーディングに参加し、キーボードを弾いたが、アルバムには収録されなかった。この時、音楽評論家伊藤政則と対面している。以降、AC/DCの初めてのアメリカ・ツアーや、エディ・マネーZZトップナイト・レンジャーなどの前座を務めるなどの実績をつんだものの、エリックはバンドに向上心がないとして解散を選択する。
ソロ

ERIC MARTIN BANDの解散後はヴァン・ヘイレンジャーニーなどの大物バンドへの加入が噂されたが、どれも実現しなかった。当時同じナイトメア・マネージメントに所属していたジャーニーのギタリスト、ニール・ショーンの支援を受け、共作・共演した「I Can't Stop The Fire」が映画「TEACHERS」のサントラに収録された(1984年)。同じくニールと共作したバラード「Just One Night」が評価されキャピトルとのソロ契約を獲得し、当時のトップ・セッション・ミュージシャン達を起用したAOR作品を制作した。1作目の『ERIC MARTIN』(1985年)は、ニールとの共作曲を核にテンションの高いアルバムに仕上がり、アメリカでゴールド・ディスクを獲得するヒットとなった。1986年公開の映画『アイアン・イーグル』で、飛行機が離陸し、美しい景観が広がった瞬間、パイロットがカセットのスイッチを入れると「Eyes Of The World」[2]が軽快に流れだす場面がある。

しかし2作目の『I'M ONLY FOOLING MYSELF』(1987年)はセールスが振るわず、曲作りに関わらせてもらえなかった事でも、エリックにとって大きな不満を残す作品となった。この頃キャピトルの体制が変わり、エリックとの契約を決めた人物がキャピトルを去ったことも重なってしまい、契約を打ち切られてしまう。
MR. BIG結成?解散

1986年頃、『ERIC MARTIN』収録の「Secrets In The Dark」と「Just One Night」に参加してもらった縁もあったギタリスト、スティーヴ・ルカサーを擁するTOTOのリハーサルに参加し、正式加入を希望したが、ジェフ・ポーカロの「まだ精神的に若すぎる」という反対により実現しなかった。ソロ活動にも行き詰まり、「こんなことを冗談で言うのはきつ過ぎるかもしれないけど、ゴールデン・ゲート・ブリッジから身を投げようと思ったことだって、なかったわけじゃない」[3]というほどの失意の日々を送る中、早弾きギタリストの発掘で知られる「Shrapnel」のマイク・ヴァーニーを通じて、ビリー・シーンと出会い、ポール・ギルバートパット・トーピーと共にMR. BIGを結成。アトランティックと契約し、1989年にアルバム『MR. BIG』でデビュー。ブラック・フィーリング溢れる歌声はハード・ロック、ヘヴィ・メタル界で高く評価され、ユニセックスなキャラクターと共にとりわけ日本でアイドル的人気を獲得した。

MR. BIG結成後も断続的にソロ活動を行っており、LYNYRD SKYNYRDやサミー・ヘイガーパンドラ (歌手)のアルバム、アメリカの特撮映画『パワーレンジャー・映画版』のサントラ、RUSHのトリビュート・アルバムなどに参加。EUROPE、SINNER、NOKKOへの楽曲提供、Jun Senoueが手がけたセガのゲームソフトのサントラに参加など、多岐に渡る。かなりのゲーマーで、セガの「THE AMAZING SPIDERMAN」と「DAYTONA USA CIRCUIT EDITION」のサントラに参加している。1997年、女性ロックボーカリスト・須藤あきらのアルバム『UNITED STATE OF MIND』をプロデュース、デュエットシングル「The Face Of Love」も、国内で発売。1997年、アメリカのテレビドラマ『MAD ABOUT YOU』のサントラで、「I Love The Way You Love Me」を歌い、PVを制作。前妻のステイシーと仲良く街を歩くという内容だった。

MR. BIGが活動休止していた1998年には、11年ぶりのソロ名義アルバム『SOMEWHERE IN THE MIDDLE』を発表。同年秋に、かつてERIC MARTIN BANDで共に活動していたドラマー、トロイ・ルケッタ(現TESLA)を含むバンドを率いて初の単独来日公演を行った。また日本テレビTHE夜もヒッパレ』に出演し、GLAYの「誘惑」をほぼ完璧な日本語で歌った。


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