エリック・ザ・レッド
プロフィール
リングネームエリック・ザ・レッド
エリック・ジ・アニマル
エリック・ハンセン
バイキング・ハンセン
本名Ib Solvang Hansen
ニックネーム北海の野獣
身長190cm[1]
体重148kg(全盛時)[1]
誕生日 (1934-08-01) 1934年8月1日[2]
死亡日 (1978-11-16) 1978年11月16日(44歳没)[2]
出身地 デンマーク
南デンマーク地域フュン島オーデンセ[2]
スポーツ歴ボクシング[3]
デビュー1960年[2]
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エリック・ザ・レッド(Eric the Red、本名:Ib Solvang Hansen、1934年8月1日 - 1978年11月16日)は、デンマーク出身のプロレスラー。
角の付いた兜を被り毛皮のコスチュームをまとったヴァイキング・ギミックの巨漢ヒールとして、北米の主要テリトリーで活躍した[4][5]。 1950年代中盤にデンマークからカナダへ移住し[4]、左官工[3]やランバージャック[6]などを経て1960年にデビュー[2]。北欧の伝説的人物である「赤毛のエイリーク」ことエイリーク・ソルヴァルズソンにあやかったエリック・ザ・レッド(Eric the Red)をリングネームに[5]、ヴァイキング・ギミックのヒールとなって、カルガリーのスタンピード・レスリングやトロントのメープル・リーフ・レスリングなどカナダの各プロモーションで活動[4]。1965年9月、バイキング・ハンセン(Viking Hansen)の名で日本プロレスの『ハリケーン・シリーズ』に初来日[1]。ジャイアント馬場、豊登、吉村道明らと対戦した[7][8]。 アメリカ合衆国のメジャー団体にも進出し、1967年にはミネアポリスのAWAにてバーン・ガニアやクラッシャー・リソワスキー、ドクターXらと対戦[9]。古巣のカルガリーでは1968年にアーチー・ゴルディーと抗争を展開した[9]。1969年8月から1971年4月にかけてはニューヨークのWWWFに出場、キラー・コワルスキー、バロン・シクルナ、イワン・コロフ、ゴリラ・モンスーン、ブルーノ・サンマルチノ、カウボーイ・ボブ・エリス、マリオ・ミラノ、ドミニク・デヌーチ、ジョン・L・サリバンなどと対戦している[10]。 1970年代前半はNWFを主戦場とし、1971年7月22日にクルト・フォン・ヘスと組んでNWF世界タッグ王座を奪取[11]。1973年2月17日にはオハイオ州アクロンにてジョニー・パワーズを破り、NWF北米ヘビー級王座を獲得した[12]。同年9月23日には古巣のトロントにおいて、ジャック・ブリスコのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦している[13]。NWFではエリック・ジ・アニマル(Eric the Animal)とも名乗り、巨大な動物の骨を振りかざす野獣派として活動。1974年2月には同名義で新日本プロレスの『ビッグ・ファイト・シリーズ』に来日[1]。新日本初参戦となるアンドレ・ザ・ジャイアントに次ぐ外国人陣営の副将格として、開幕戦の後楽園ホール大会にてアントニオ猪木とシングルマッチで対戦した[14]。 1975年は、NWFの残党が参画していたアメリカ北東部の新団体IWAに出場。
来歴