エリック・アイドル
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エリック・アイドル
Eric Idle
2003年撮影
生年月日 (1943-03-29) 1943年3月29日(81歳)
出生地イギリスダラム州サウス・シールズ(現在はタイン・アンド・ウィア州に属す)
職業コメディアン
俳優
脚本家
歌手
プロデューサー
小説家
声優
ジャンルコメディ
パロディ
活動期間1966年 -
配偶者リン・アシュレイ(1969年 - 1975年
タニア・コセヴィッチ(1981年 -)
主な作品
空飛ぶモンティ・パイソン
モンティ・パイソン・アンド・ナウ
モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル
ライフ・オブ・ブライアン
人生狂騒曲
バロン
相続王座決定戦
キャスパー
シュレック3

 受賞
グラミー賞
ミュージカル・ショー・アルバム賞
2006年スパマロット
その他の賞

備考
モンティ・パイソン」メンバー
ザ・ラトルズ」メンバー
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エリック・アイドル(: Eric Idle、1943年3月29日 - )は、イギリスコメディアンミュージシャンコメディグループのモンティ・パイソンのメンバー。
経歴
生い立ち

1943年にイングランドのサウス・シールズに生まれた。アイドルの父は英国空軍の軍人だったが、アイドルが2歳のときのクリスマス・イブに交通事故で死去する[1]。その後アイドルは親戚などに預けられ、7歳から大学入学までの12年間、王立の全寮制学校で暮らす[1]。学校は厳格で強制収容所のようだったらしく、アイドルはあまりいい印象を持っていない[1]

ケンブリッジ大学へ入学し、英文学を専攻する。その年、1963年にケンブリッジ大学のコメディ・サークル『ケンブリッジ・フットライツ』へ入り、後には代表まで務めた。代表時代には、女人禁制制度を廃止し、女性メンバーの加入を正式に認めるなど、数々の改革を行った。大学を卒業後は、キャバレーでの下積みを経て、ラジオやTVの台本の執筆をするようになる。1967年には子供番組『ドゥ・ノット・アジャスト・ユア・セット』に参加。後のパイソンメンバーであるマイケル・ペイリンテリー・ジョーンズらと組んだ。
モンティ・パイソン

1969年、アイドルは他の5人のメンバーと共にモンティ・パイソンを結成し、BBCにてTVシリーズ『空飛ぶモンティ・パイソン』の放送が開始された。パイソンの中でのアイドルは一匹狼であり、一人で台本を執筆するのが特徴であった。大学時代に英文学を学んでいたこともあり、「しゃべり」重視の、言葉遊びやワンライナー・ジョークをテンポよく織り交ぜた短いスケッチを多く書いた。また、ミュージシャンでもあるアイドルは、訛りなどのクセのあるしゃべりかたの物まねがうまく、数々の有名人をネタにしたキャラクターを演じている。代表的な出演スケッチに「ナッジ・ナッジ(ちょんちょん、このお!)」「マネー・プログラム」「アナグラムでしゃべる男」「旅行代理店」などがある。その後のパイソン映画にも出演した。

アイドルはビジネスにも長けており、パイソン・レコードやパイソン本の類の考案者はアイドルである。

またアイドルは、パイソンの音楽面でも一役買っていた。彼が作詞、作曲して歌った『ライフ・オブ・ブライアン』のエンディング曲「Always Look on the Bright Side of Life』はヒットを記録したほか、「銀河系の歌」「エリック・ザ・ハーフ・ア・ビー」(: Eric the Half-a-Bee)などの名曲がある。アイドルは、パイソン関連のレコードで数多くの楽曲を発表している。

スケッチ中では長身のジョン・クリーズ(196cm)やグレアム・チャップマン(188cm)と写っている印象で小柄という印象が強いが、彼自身も183cmとそれなりに長身である。
パイソン後の活動

パイソンの終了後は、当時アイドルが制作していたラジオ番組『ラジオ・ファイブ・オン・ラジオ・ワン』がTV番組化され、『ラトランド・ウィークエンド・テレビジョン』として放送。元ボンゾ・ドッグ・バンドのメンバーであるニール・イネスと制作したこの番組は、セットが天気予報並みという低予算ながら好評を博した。

ザ・ビートルズのパロディバンドであるザ・ラトルズ(The Rutles)のメンバーでもある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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