エリザベス・モンロー
Elizabeth Monroe
エリザベス・モンロー(時期不明。ジョン・ヴァンダーリンによる肖像画)
アメリカ合衆国のファーストレディ
任期
1817年3月4日 ? 1825年3月4日
前任者ドリー・マディソン
後任者ルイーザ・アダムズ
個人情報
生誕 (1768-06-30) 1768年6月30日
イギリス領北米植民地
ニューヨーク植民地ニューヨーク
死没 (1830-09-23) 1830年9月23日(62歳没)
アメリカ合衆国
バージニア州オーク・ヒル
エリザベス・コートライト・モンロー(Elizabeth Kortright Monroe , 1768年6月30日 - 1830年9月23日)は、第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローの夫人(アメリカ合衆国のファーストレディ)である。身長5フィート(約152cm)[1]。 1768年6月30日にイギリス領北米植民地のニューヨーク植民地ニューヨークにてローレンス・コートライト(1728年 - 1794年)とハンナ・アスピンウォール(1730年頃 - 1777年)の娘(3人の姉妹・1人の兄弟がいる。出生順は不明)として生まれた[2]。父ローレンスはフレンチ・インディアン戦争中に私掠船で活躍して裕福になった商人だった[3]。 1786年2月16日に17歳で、27歳のジェームズ・モンローと結婚した[2]。エリザベスは細身で黒い髪と青い目を持ち、優雅であり、亡くなる直前まで年齢より何歳も若く見える美しさを維持していたと言われている[4]。モンローとの間には3人の子供をもうけた[2]。
家族
エリザ・コートライト・モンロー(1787年 - 1835年) - 1808年に著名な弁護士であるジョージ・ヘイ
ジェームズ・スペンス・モンロー(1799年 - 1801年)
マリア・ヘスター・モンロー(1803年 - 1850年) - 1820年3月9日にモンロー大統領の秘書を務めるサミュエル・ローレンス・ガバナー(英語版)とホワイトハウスで結婚式を挙げた。大統領の娘がホワイトハウスで結婚式を挙げるのはこれが初めてだった[5]。
長いヨーロッパ生活数少ないエリザベス・モンローの既知の肖像画の一つ
夫のモンローがジョージ・ワシントン初代アメリカ合衆国大統領によって1794年に在仏全権公使に任命されると、エリザベスもフランスへ向かう夫に同行した[3]。当時のフランスは恐怖政治の真っ只中にあり、かつてアメリカ独立戦争を助けてくれたジルベール・デュ・モティエ・ド・ラファイエット侯爵の夫人のアドリアンヌ・ド・ラファイエット(英語版)もパリ市内の刑務所に投獄されており、いつギロチンで処刑されてもおかしくない状況にあった[3]。そこでエリザベスは思い切った行動に出た。派手に馬車を仕立てて、野次馬の群れに取り巻かれつつ刑務所内のアドリアンヌ夫人を訪問し、群衆の目の前で感動的な抱擁を演じ、人々の同情をひいて喝采を博したのである。この後にエリザベスは公安委員会から、アドリアンヌ夫人の釈放を取りつけた[6]。この出来事以降、エリザベスはフランスで非常に人気がある女性となり、「アメリカの美しい人」と愛着を込めて呼ばれるようになった[3]。