エリザベス・ウォーレン
[Wikipedia|▼Menu]

エリザベス・ウォーレンElizabeth Warren

生年月日 (1949-06-22) 1949年6月22日(74歳)
出生地 アメリカ合衆国
オクラホマ州オクラホマシティ
出身校ジョージ・ワシントン大学
ヒューストン大学(英語版)
ラトガース・ロースクール・ニューアーク(英語版)
前職ハーバード・ロー・スクール教授
現職マサチューセッツ州代表上院議員
所属政党民主党
配偶者ジム・ウォーレン(1968 - 1978)
ブルース・マン(1980 - 現在)
サイン
公式サイト ⇒http://elizabethwarren.com/
アメリカ合衆国
上院議員
選挙区マサチューセッツ州
在任期間2013年1月3日 - 現職
テンプレートを表示

エリザベス・ウォーレン(Elizabeth Warren、1949年6月22日 - )は、アメリカ合衆国の学者及び政治家[1]民主党所属、マサチューセッツ州選出上院議員である。

かつてはテキサス大学法学部、ペンシルベニア大学法学部、ハーバード・ロー・スクールで教鞭を執っていた連邦倒産法を専門とする著名な大学教授(学者)であり、商法の分野で特に有名であった[2]
概説

積極的な消費者保護論者であり、消費者金融保護局(英語版)の設立に貢献した。多数の学術的書籍を著し、アメリカ経済や個々の財政に関するメディアのインタビューで度々取り上げている。2008年の金融危機の際には、不良資産救済プログラム(TARP)(英語版)の監督を目的として創設された不良資産救済プログラムに関する議会監督委員会メンバー(英語版)の議長を務めた。バラク・オバマ大統領のもと、大統領補佐官及び消費者金融保護局のアメリカ合衆国財務長官顧問となった。2000年代後半、『ナショナル・ロー・ジャーナル』誌や、タイム100に取り上げられるなど、その認知度を広げていった。

民主党のリーダー的存在として、プログレッシブ層からの支持が厚い[3][4]アメリカ合衆国大統領選挙への立候補について度々否定していたが[5][6][7]2016年アメリカ合衆国大統領選挙において複数の政治評論家から有力候補として度々言及されていた。その後、2020年アメリカ合衆国大統領選挙に出馬することを表明したが[8][9]、2020年3月5日に撤退した[10]
生い立ち・教育・家族

1949年6月22日にオクラホマ州オクラホマシティ中流階級の家庭で父のドナルド・ジョンズ・ヘリング、母のポーリーン(旧姓リード)のもとにエリザベス・アン・ヘリングとして誕生した[11][12]。ウォーレンは家庭について「中流階級の底辺」、「中流階級にようやく手が届いた程度」と語っている[13][14]。3人の兄がいる末っ子であった[15]。12歳の頃、小売のモンゴメリー・ウォードの管理人であった父は[14]心筋梗塞で倒れて働けなくなり、収入が無くなると共に医療費がかさんだ[16]。ローンが払えなくなり車を失った。家計のため、母はシアーズのカタログ部門の職を見つけた[17]。13歳の頃、叔母が経営するレストランでウエイトレスとして働き始めた[15][18]

ノースウエスト・クラスン高等学校にてディベート・チームの主要メンバーとなり、州内の高校生のディベート・チームによるコンクールにおいて優勝した。16歳の頃、ジョージ・ワシントン大学のディベート奨学金を勝ち取った[16]。当初教師を目指していたが、大学入学から2年後、高校時代から交際していたジム・ウォーレンと結婚のため退学した[15][19][20]

NASAのエンジニアであった夫に伴い、テキサス州ヒューストンに転居した[19]。ヒューストン大学(英語版)に進学し、1970年、言語聴覚学で理学士を取得した[21][22][23]。教員免許を取得していなかったが臨時免許を取得して1年間公立学校にて障碍のある子供たちに教育を施していた[24][25][26]

夫の仕事の都合でニュージャージー州に転居し、妊娠したウォーレンは専業主婦となる決意をした[27]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:173 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef