Erik Erikson
エリク・エリクソン
生誕 (1902-06-15) 1902年6月15日 [1]
ドイツ帝国 プロイセン王国
フランクフルト
死没 (1994-05-12) 1994年5月12日(91歳没)
アメリカ合衆国
マサチューセッツ州・ハリッジ
国籍 プロイセン王国
(1902-1939)
アメリカ合衆国
(1939-1994)
職業心理学者
大学教授(心理学)
著名な実績『発達心理学』
自己同一性
影響を受けたものジークムント・フロイト
アンナ・フロイト
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エリク・ホーンブルガー・エリクソン(英語: Erik Homburger Erikson, 1902年6月15日 - 1994年5月12日)は、アメリカ合衆国の発達心理学者で、精神分析家[1]。「アイデンティティ」の概念、エリクソンの心理社会的発達理論を提唱し、米国で最も影響力のあった精神分析家の一人とされる[1]。 ドイツ帝国のフランクフルトに生まれる[1]。母のカーラ・アブラハムセン(Karla Abrahamsen)はユダヤ系デンマーク人で、生後3年間はカーラと共にフランクフルトで過ごす。父親は定かではない。デンマーク人の芸術家だったのではないかと言われているが、カーラは最期まで息子にその父の名を明かさなかった。1905年にエリクソンの主治医も務めていた小児科医のテオドール・ホーンブルガー
経歴
生い立ち
エリクソンはその北欧系の風貌からユダヤ系社会やユダヤ教の教会で(逆)差別を受け、またドイツ人コミュニティからはユダヤ人であるという理由で差別を受け、二重の差別を受けて育った。実父の出自や所在が分からない状態で育った事も加え、彼の出自や生育歴がその後の理論・思想形成に大きな影響を及ぼしている。
カールスルーエのギムナジウムビスマルク校
を卒業後は、芸術学院に進学するものの卒業はせず、その後各地を転々とし放浪生活を送った。エリクソン自身は画家を目指していたと語り、自身の特徴的な文章が画家を目指していたことと関係があると述べている。友人の紹介で、アンナ・フロイトがウィーンの外国人の子弟を対象に始めた私立の実験学校で、教師を勤め、その経過の中でアンナの弟子となり、教育分析を受ける。エリクソンの面識のない実父に関して等、分析内容に違和感を残しつつも分析を終了する。その後、エリクソンはウィーン精神分析研究所の分析家の資格を取得する(当時のウィーン精神分析所で取得した資格は、同時に国際資格になる制度であった)。その後、ウィーンで後に結婚するカナダ人の舞踏家、ジョアン・セルソン
と知り合う。1933年、ドイツでナチスが政権を掌握すると、エリクソンはウィーンからコペンハーゲンへ、そしてアメリカへと渡り、1939年にアメリカでの国籍を取得する。当初、問題行動を起こす青年達の心理療法に従事し、他の治療機関の手に負えない難しい事例であったにもかかわらず、高い治癒率を上げた為、注目を集め始めた。 エリクソンが有名な「アイデンティティ」の概念を思いついた背景には、マサチューセッツのオースティン・リッグス・センターにて同一性に苦しむ、境界例のクライアントに会っていた事が契機とされている。
アメリカ時代