エラリー・クイーン
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この項目では、推理作家について説明しています。この作家の推理小説に登場する同名の名探偵については「エラリー・クイーン (架空の探偵)」をご覧ください。

エラリー・クイーン
Ellery Queen
フレデリック・ダネイ(左)とミステリー作家ジェイムズ・ヤッフェ(1943年)
ペンネームエラリー・クイーン (Ellery Queen)
バーナビー・ロス (Barnaby Ross)
誕生フレデリック・ダネイ、マンフレッド・ベニントン・リー
国籍 アメリカ合衆国
ジャンル推理小説
代表作『Yの悲劇』(1932年)
デビュー作『ローマ帽子の謎』(1929年)
ウィキポータル 文学
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エラリー・クイーン (Ellery Queen) は、アメリカ推理作家編集者である。早川書房では「エラリイ・クイーン」と表記する。

フレデリック・ダネイ(Frederic Dannay、1905年10月20日 - 1982年9月3日[1])とマンフレッド・ベニントン・リー(Manfred Bennington Lee、1905年1月11日 - 1971年4月3日[2])が探偵小説を書くために用いた筆名の一つ。ダネイとリーは従兄弟同士であり、ユダヤ系移民の子である。上記の彼らの個人名もそれぞれペンネームであり、ダネイの本名はダニエル・ネイサン (Daniel Nathan)、リーの本名はマンフォード・エマニュエル・レポフスキー (Manford Emanuel Lepofsky)。

小説シリーズでは、エラリー・クイーンは著者の名前だけでなく物語の名探偵の名前でもある。なお共作の手法は、まずプロットトリックをダネイが考案し、それをリーに梗概などの形で伝え、2人で議論を重ねたあとリーが執筆した[3]。2人がこの創作方法をとるようになったのは、プロットを思いつく能力は天才的ながら文章を書くのが苦手なダネイと、文章は上手いがプロットが作れないリーの2人の弱点を補完するためであった。

現在はアガサ・クリスティほど広範な人気は持たないものの、日本では第二次世界大戦前から一般読者からマニアまで広く支持を集め、特に20世紀末以降の新本格派と呼ばれる作家群にはこの名を第一に挙げたり、影響を公言したりする作家が数名存在する[4]
経歴

ローマ帽子の謎』から『スペイン岬の謎』までのいわゆる国名シリーズは、S・S・ヴァン・ダインの影響が見られるものの、読者への挑戦状など独自の工夫もあり、手掛りの解釈に緻密さと大胆さを両立させ得た作風は、本格探偵小説として評価が高い。

同時にバーナビー・ロス名義で、聾者の探偵ドルリー・レーンが活躍する4部作も発表している。第2作『Yの悲劇』は、とりわけ日本で評価が高く、ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』の影響を受けつつも、さらに意外な犯人で、推理小説の歴史に残る傑作とされる(第1期)。

中途の家』から『ドラゴンの歯』までの5作品は、クイーンがハリウッドで脚本の仕事を始めたり、女性誌に作品を発表したりしたことから、恋愛小説的要素が増えた(第2期)。

ライツヴィルという架空の地方都市を舞台にした『災厄の町』から、人間の心理面に重きが置かれるようになり、『九尾の猫』では悲劇的な真相に気づいて涙を見せるなど、超人的な名探偵であったエラリーが、間違いを犯し苦悩することもある人間として描かれる。そして、中年となったエラリーが30年前(『ローマ帽子の謎』直後)に扱った事件の真相に気づく、集大成的な作品『最後の一撃』でこの時期は終わる(第3期)。この「間違いを犯し苦悩することもある人間」としての探偵については、後期クイーン的問題としてしばしば議論の対象となる。

1960年代以降の作品のいくつかは、監修は行っていたと考えられるものの、執筆は他の作家によることが知られている。代表的なものには、シオドア・スタージョンによる『盤面の敵』、アヴラム・デイヴィッドスンの手になる『第八の日』『三角形の第四辺』などがある(第4期)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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