エラミー作戦
2011年リビア内戦中
イギリス空軍のユーロファイター タイフーン
時2011年3月19日 - 10月31日
場所リビア
衝突した勢力
イギリス リビア
指揮官
デーヴィッド・キャメロン首相
リアム・フォクス
グレッグ・バグウェル(Greg Bagwell)空軍少将(Air)[1]
イアン・コールダー(Ian Corder)海軍少将(Maritime)[1]
ムアンマル・アル=カッザーフィー
アブー・バクル=ユニス=ジャブル国防相
アリー・シャリフ・アッ=リーフィ(Ali Sharif al-Rifi)(空軍)[2]
ハミス・アル=カッザーフィー (特殊部隊)
戦力
展開部隊 参照不明
被害者数
なし
複数の軍用機が作戦不能となっている[3]。
戦車 ~4輌[4]
装甲車両 ~22輌
不明、カッザーフィー政権下のリビア国営メディアによれば国連の軍事行動により民間人に48名の死者と150名の負傷者が出ているとしている[5][疑問点 – ノート] 。
民間人に40名の死者(トリポリにおいて; ローマ教皇庁の主張による)[6]
多国籍軍ではいずれの側の死傷者についても報道されていない。
エラミー作戦(エラミーさくせん、英:Operation ELLAMY)[7]は、リビア飛行禁止空域に参加したグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(以下、「イギリス」と記す)が行なった軍事作戦に付された、コードネームである[8]。
この作戦は、「国際社会によるリビア上空の飛行禁止区域の設定と、市民を保護するために外国による占領を除いたあらゆる手段を取る」ことを容認する国際連合安全保障理事会決議1973に基づく、多くの国による軍事行動の一環である[9]。
多国籍軍の合同作戦は、アメリカ合衆国ではオデッセイの夜明け作戦と名付けられた[11][12]。同様にカナダではモバイル作戦[13]、フランスではアルマッタン作戦(英語版)[14]とされた。
飛行禁止空域の設定は、2011年リビア内戦でのカダフィ政権軍による反カダフィ勢力に対する空爆が行なわれたことにより、提案された。
2011年3月19日、パリにおいて軍事行動を開始するための緊急首脳会議が開催された[15]。 国際連合安全保障理事会決議1973が2011年3月17日夕方に採択され、これに基づきリビア飛行禁止空域での軍事介入が認められた。2011年3月19日、パリにおいてEU加盟国、アメリカ合衆国などの代表者によるリビア情勢に関する緊急首脳会議が開催され、直ちに軍事行動に移る準備が始まった[16][17]。 パリでの首脳会議の終了後に国際的な軍事行動が開始された。会議の終了数時間後の16時45分(グリニッジ標準時)にフランス空軍機によるリビア軍戦車への攻撃が行なわれ、多国籍軍のリビア・カダフィ政権に対する最初の攻撃となった[18]。
目次
1 作戦の背景
2 展開部隊
3 作戦行動の概要
3.1 1日目 - 2011年3月19日
3.2 2日目 - 2011年3月20日
3.3 3日目 - 2011年3月21日
3.4 4日目 - 2011年3月22日
3.5 5日目 - 2011年3月23日
3.6 6日目 - 2011年3月24日
3.7 7日目 - 2011年3月25日
3.8 9日目 - 2011年3月27日
3.9 10日目 - 2011年3月28日
3.10 11日目 - 2011年3月29日
3.11 12日目 - 2011年3月30日
3.12 13日目 - 2011年3月31日
3.13 15日目 - 2011年4月2日
3.14 16日目 - 2011年4月3日
3.15 17日目 - 2011年4月4日
3.16 22日目 - 2011年4月9日
4 使用されている艦船及び航空機
4.1 イギリス海軍
4.2 イギリス空軍
5 脚注
5.1 注釈
5.2 出典
6 関連項目
7 外部リンク
作戦の背景
展開部隊