エモーショナル・ハードコア
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エモい」とは異なります。

エモ
emo
様式的起源ハードコア・パンク
ポスト・ハードコア
インディー・ロック
文化的起源1980年代中盤
アメリカ合衆国
ワシントンD.C.
使用楽器ボーカル - ギター - ベース - ドラムセット - シンセサイザー
サブジャンル
スクリーモ - 激情系
地域的なスタイル
ワシントンD.C.アメリカ合衆国中西部シアトルニュージャージー州ロングアイランド
関連項目
ポップ・パンク - メロディック・ハードコア
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エモ(: emo[?i?mo?])[注 1]は、ロックの形態の一種である。精神的・音楽的にハードコア・パンクにルーツを持つことから、エモーショナル・ハードコアと呼ばれることもある。
概要

エモはメロディアスで感情的な音楽性、そしてしばしば心情を吐露するような歌詞によって特徴付けられるロック・ミュージックの1スタイルである。ワシントンD.C.の1980年代のハードコア・パンクのムーブメントに起源を持ち、そこでは「エモーショナル・ハードコア」や「エモコア」といった名前で知られており、Rites of SpringやEmbraceといったバンドがパイオニアである[1]

その音楽スタイルは現代のアメリカのパンク・ロック・バンドの多くに模倣されているが、そのサウンドや意味するところは変容している。ポップ・パンクインディー・ロックを混ぜあわせ、1990年代初頭にはJawbreaker[注 2]やSunny Day Real Estateといったのグループによって形成された。1990年代中頃には、数多くのエモのパフォーマーがアメリカ中西部や中央部に出現し、いくつかの独立系レコードレーベルがエモに特化し始めた。

2000年初頭にはジミー・イート・ワールドやDashboard Confessionalがプラチナセールスを獲得、「スクリーモ」というサブジャンルも出現するなど、エモはメインストリートのカルチャーに進出した。近年では「エモ」という言葉は、ビッグセールスをたたき上げるアーティストも含めてスタイルもサウンドも非常に異なった様々なアーティストに対して批評家やジャーナリストが使用している。

音楽に加えてしばしば「エモ」は、より一般的にファンとアーティスト固有な関係を指し示すために使用され、関連するファッション、カルチャー、ライフスタイルの側面を記述されるためにも使用される。

本ジャンルやそれに近しい音楽性を形容する際に用いられた「エモい」という俗語が、そこから転じて感傷的、情緒的、得も言われぬ感情を表す形容詞として若者言葉として定着した。
歴史

マイナー・スレットフガジ、ダグ・ナスティ、ジョーボックスなどのワシントンD.C.周辺 - ディスコード・レーベルを中心とした1980年代のUSハードコアを源流とするDIYな活動、オルタナティブな音楽性からの影響を公言するバンド達が1990年代半ば頃からエモと呼ばれ始めた。

この呼称は、ワシントンD.C.のハードコアパンク20年史ドキュメント『Dance of Days』(Mark Andersen & Mark Jenkins、2001年)によれば、スケートボード誌スラッシャーがイアン・マッケイ(マイナー・スレット、フガジの中心人物、ディスコード主宰者)らD.C.のハードコアパンクの新しいサウンドを指してemo-coreと呼んだことに由来する。当時フガジの前身エンブレイスで活動していたマッケイがこれに激怒して"EMOCORE is STUPID"と言い放った1986年の映像はユーチューブなどで流布しており、彼自身がエモコアというネーミングを拒否した[注 3]が、1990年代半ば以降、この語はインディーロックサウンドとともにインターネット経由で広まっていった。

最初に「エモ」として全米で知られたバンドはシアトルのサニー・デイ・リアル・エステイト (Sunny Day Real Estate) で、このバンドが契約していたインディーレーベル(当時)サブ・ポップ (Sub Pop) が1980年代後半のシアトルのアングラシーンをグランジという名で世界に紹介した仕掛け人だったこともあり、エモもグランジ同様に、ジャンルというよりはメディア用のラベルではないかという印象が当初から拭えなかった。

実際、グランジ・ファッションならぬエモ・ファッションの議論は1990年代の早い時期からはじまっている。ただし、シアトル・シーンと1980年代からアンダーグラウンドで交流の深かったD.C.のバンドがこのようなラベル付けに冷淡だったことや、後付けの音楽性定義の試みが直ちに諸論噴出につながるネット時代の環境のため、グランジ以上に定義が曖昧なまま、必ずしもハードコアパンクと関係のないさまざまなバンドにこの語が拡散して行くことになった。

1990年代後半にゲット・アップ・キッズやアット・ザ・ドライブインが注目を浴びるようになって徐々にシーンが広がり始めた後、1995年からメジャー契約をしながらもメディア露出を控え、ツアー中心のインディーバンド的活動で徐々にファン層を拡大させたジミー・イート・ワールドは、1999年のアルバム『クラリティ』で実力派エモバンドとしての評判を確定し、さらに2002年にはビルボードHot100で5位に食い込むなど、メジャーシーンでも知名度を上げた。この結果、それまで慎重だったメジャーレーベルも次々とアメリカ各地のインディーバンドをデビューさせ、またインディーレーベルの中にもジミー・イート・ワールド影響下で人気バンドを複数抱えて商業的に成功するレーベルも現れるようになる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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