エメリック・プレスバーガー
[Wikipedia|▼Menu]

エメリック・プレスバーガー
Emeric Pressburger
本名Imre Jozsef Pressburger
生年月日 (1902-12-05)
1902年12月5日
没年月日 (1988-02-05) 1988年2月5日(85歳没)
出生地 オーストリア=ハンガリー帝国 ミシュコルツ
死没地 イングランド サフォーク州サックステッド(英語版)
職業脚本家、映画監督、プロデューサー
著名な家族アンドリュー・マクドナルド(孫)
ケヴィン・マクドナルド (映画監督)(孫)
主な作品
うずまき』(1945年)
『天国への階段』(1946年)
黒水仙』(1947年)
赤い靴』(1948年)

 受賞
アカデミー賞
原案賞
1942年潜水艦轟沈す
カンヌ国際映画祭
フランス映画技術高等委員会賞
1951年ホフマン物語
英国アカデミー賞
フェローシップ賞
1980年
その他の賞

テンプレートを表示

エメリック・プレスバーガー(Emeric Pressburger, 1902年12月5日 - 1988年2月5日)は、ハンガリー生まれでイギリスで活動した脚本家映画製作者で、マイケル・パウエルとのコンビ「パウエル=プレスバーガー」による共同製作・監督・脚本で知られる。
来歴・人物

オーストリア・ハンガリーのミシュコルツで生まれたプレスバーガーは本名を Pressburger Imre Jozsef という。プラハシュトゥットガルトの大学で法律を学んだのちジャーナリストとなる。1920年代末にベルリンウーファ社でシナリオを書くようになるが、ナチスの台頭にともないユダヤ人であったプレスバーガーはパリに移る。そこでイギリス映画のための仕事をするようになった彼は、ハンガリー出身のアレクサンダー・コルダのすすめもありロンドンに渡る。

コルダのロンドン・フィルムズに脚本家として雇われたプレスバーガーだが、初めは英語も話せなかった。独学で英語を身につけやがて一本立ちの脚本家となったプレスバーガーはマイケル・パウエルと知り合い意気投合する。二人で映画製作会社アーチャーズ Archers を設立し1942年から1956年まで、15本の映画を共同で製作(監督・脚本も)した。

パウエルとのコンビを解消した後は単独で脚本や小説を書いた。彼の小説『日曜日には鼠を殺せ』Killing a Mouse on Sunday はフレッド・ジンネマンによって映画化されている。
主な作品

スパイ The Spy in Black 脚本 1939年

潜水艦轟沈す 49th Parallel 原案・脚本 1941年

カンタベリー物語 A Canterbury Tale 製作、脚本、監督 1944年

うずまき I Know Where I'm Going! 製作、脚本、監督 1945年

天国への階段 A Matter of Life and Death / Stairway to Heaven 製作、脚本、監督 1946年

黒水仙 Black Narcissus 製作、脚本、監督 1947年


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:13 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef