エムトゥーメイ
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エムトゥーメイ
Mtume
出身地
アメリカ合衆国 ニューヨーク
ジャンルコンテンポラリー・R&Bファンクジャズ・ファンク[1]ポスト・ディスコ[1]
活動期間1973年 - 1986年
レーベルThird Street (1973年?1977年)
エピック・レコード (1978年?1986年)
共同作業者ステファニー・ミルズ
マイルス・デイヴィス

旧メンバージェームズ・エムトゥーメ
タワサ・エイジー
フィリップ・フィールドレスリー・ミング
ヒューバート・イーヴスIII世
レジー・ルーカス
イジル・フィアリントン
タイロン・ブランソン
ハワード・キング

エムトゥーメイ (Mtume) は、ファンクソウルのグループであり、1980年代初期に有名になり、そのキャリアの間にR&Bヒットを何度か手中にした。創設者で、元パーカッショニストであるジェームズ・エムトゥーメは、1970年代初頭にマイルス・デイヴィスと演奏し、ツアーを行った。グループの他のメンバーには、レジー・ルーカス、フィリップ・フィールド、ボーカリストのタワサ・エイジーが含まれている。エムトゥーメイはまた、ヒット・シングル「Juicy Fruit」が、多くのヒップホップ・アーティストによってサンプリングされたことで、広く認知を得た。とりわけ、ビデオゲーム『グランド・セフト・オート・バイスシティ』でも取り上げられた、ノトーリアス・B.I.G.による1994年のヒット曲「Juicy」が有名である。彼らのアルバム『ユー・ミー・アンド・ヒー』収録の「C.O.D. (I'll Deliver)」は、ビデオゲーム『グランド・セフト・オートIV』で紹介された。
略歴

グループのキャリアがスタートした時期に、彼らはStata Eastレーベルのために『アルケブラン -ライヴ・アット・ジ・イースト-』(1972年)という最初の作品を、続いてインディーズ・レーベルのThird Street Recordsのために2枚を加え、『カワイダ』[2](ジェームズの叔父のKuumba-Toudie Heath名義。日本ではハービー・ハンコック = ドン・チェリー名義[3]、1973年)、『アルケブラン』[4](1975年)、『回天』[5](1977年)といった3枚のアルバムを録音した。しかし、ポップチャートやR&Bチャートで成功を見出すことができず、1978年にメジャー・レーベルであるエピック・レコードと契約し、アルバム『キス・ディス・ワールド・グッバイ』(1978年)、および『レインボウ・シーカーズ』(1980年)をリリースした。しかしながら、エムトゥーメイに最大のヒットをもたらしたのは、1983年のアルバム『ジューシー・フルーツ』だった。タイトル曲は、米国のR&Bチャートで8週間にわたってナンバー1に達し、Billboard Hot 100では45位とトップ40にも達さなかったにもかかわらず、RIAAよりゴールド・ディスクを獲得した[6]

エムトゥーメイの1984年のアルバム『ユー・ミー・アンド・ヒー』は、タイトル曲もR&Bチャートで2位に達し、見事に成功が証明された[7]。彼らの最後のR&Bトップ10ヒットは、最終アルバム『Theatre of the Mind』からの「Breathless」[7](1986年)であった[8]。エムトゥーメイは、1980年代後半までエピック・レコードで録音を続けた。グループ・メンバーのタワサ・エイジーは、1987年にソロとして活動を始めた。
その他の成功

エムトゥーメイでの活動と並行して、ジェームズ・エムトゥーメは、多くの場合、エムトゥーメイのバンドメイトであるレジー・ルーカスと一緒に、ステファニー・ミルズのトップ10シングル「燃える恋心 (Never Knew Love Like This Before)」(ベスト・R&B・ソング・ライティングとプロデュースの両方でグラミー賞を受賞)や、ロバータ・フラック & ダニー・ハサウェイによるヒット・シングル「私の気持ち (The Closer I Get to You)」と「Back Together Again」など、さまざまなアーティストのためにいくつかの曲を書いた。

エムトゥーメイ解散後、ジェームズ・エムトゥーメは多くの作品のプロデュースと作曲のキャリアを再開した。これには、映画『バッド・フェロー (A Thin Line Between Love and Hate)』サウンドトラックに収録されたR・ケリーによる「Freak Tonight」[9]の作曲、メアリー・J. ブライジのアルバム『シェア・マイ・ワールド』の共同プロデュースが含まれている。また、ロイ・エアーズバーケイズをプロデュースし、1990年代のテレビ警察ドラマ『New York Undercover』の音楽やテーマ曲を作曲した。

レジー・ルーカスは(ジョン・"ジェリービーン"・ベニーテスと一緒に)、「ボーダーライン」や「ラッキー・スター」といった楽曲を含むマドンナのファースト・アルバム『バーニング・アップ』の大部分をプロデュースした。

タワサ・エイジーは、後にバックグラウンドシンガーになった。彼女は、スティーリー・ダンの2003年のアルバム『エヴリシング・マスト・ゴー』、エンパイア・オブ・ザ・サンの2013年のアルバム『Ice on the Dune』、レニー・クラヴィッツの2014年のアルバム『ストラット』で歌っている。

フィリップ・フィールドは、グエン・ガスリー、タワサ・エイジー、タイロン・ブランスン、バーケイズ、チャールズ・アーランドなどを含む多くのアーティストのプロデュースや作曲を続けた。彼はロイ・エアーズのアルバム『ユー・マイト・ビー・サプライズド』で共同作曲および共同プロデュースを行い、トニー・ブラクストンのアルバム『Platinum&Gold Collection』収録の「How Many Ways」を一緒に共同で作曲した。
ラインナップ

1978年?1980年のラインナップ

ジェームズ・エムトゥーメ (James Mtume) - ボーカル、パーカッション、キーボード

ヒューバート・イーヴスIII世 (Hubert Eaves III) - キーボード

タワサ・エイジー (Tawatha Agee) - ボーカル

レジー・ルーカス (Reggie Lucas) - ギター ※2018年死去

ベイジル・フィアリントン (Basil Fearrington) - ベース

ハワード・キング (Howard King) - ドラム

1982年?1986年のラインナップ

ジェームズ・エムトゥーメ (James Mtume) - ボーカル、キーボード

タワサ・エイジー (Tawatha Agee) - ボーカル

レイモンド・ジャクソン (Raymond Jackson) - ベース

フィリップ・フィールド (Philip Field) - キーボード、シンセサイザー、シンセサイザー・プログラミング、ボーカル

エド・ムーア (Ed "Tree" Moore) - ギター

レスリー・ミング (Leslie Ming) - ドラム

タイロン・ブランソン(Tyrone Brunson) - ベース



ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム

『回天』 - Rebirth Cycle (1977年)

『キス・ディス・ワールド・グッバイ』 - Kiss This World Goodbye (1978年)

『レインボウ・シーカーズ』 - In Search of the Rainbow Seekers (1980年)

『ジューシー・フルーツ』 - Juicy Fruit (1983年)

『ユー・ミー・アンド・ヒー』 - You, Me and He (1984年)

Theater of the Mind (1986年)

シングル

"Just Funnin" (1978年)

"Give It On Up (If You Want To)" (1980年)

"So You Wanna Be A Star" (1980年)

"Juicy Fruit" (1983年)

"Would You Like To (Fool Around)" (1983年)

"Green Light" (1984年)

"You, Me And He" (1984年)

"Prime Time" (1984年)

"C.O.D. (I'll Deliver)" (1984年)

"Breathless" (1986年)

"P.O.P. (Pursuits Of Pleasure) Generation" (1986年)

"Body And Soul (Take Me)" (1987年)

脚注[脚注の使い方]^ a b Wynn, Ron. エムトゥーメイ - オールミュージック. 27-12-2009閲覧。
^ “ ⇒MTUME Kawaida reviews and MP3”. Jazzmusicarchives.com (2010年9月2日). 2016年1月10日閲覧。


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