エミール・デュルケーム
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エミール・デュルケーム
Emile Durkheim

生誕1858年4月15日
フランスエピナル[1]
死没 (1917-11-15) 1917年11月15日(59歳没)
フランスパリ
国籍 フランス
研究分野哲学社会学教育学人類学宗教学
研究機関パリ大学
ボルドー大学
出身校パリ高等師範学校
フリードリッヒ・ヴィルヘルム大学
ライプツィヒ大学
マールブルク大学
主な業績総合社会学の構想
影響を
受けた人物プラトンアリストテレススピノザカントデカルトハーバート・スペンサーモンテスキュールソーオーギュスト・コント
ウィリアム・ジェイムズジョン・デューイフュステル・ド・クーランジュシャルル・ルヌーヴィエJ・S・ミルルイ・ガブリエル・ド・ボナール
影響を
与えた人物マルセル・モースクロード・レヴィ=ストロースタルコット・パーソンズモーリス・アルブヴァクスジョナサン・ハイトリュシアン・レヴィ=ブリュールブロニスワフ・マリノフスキフェルナン・ブローデルピエール・ブルデューチャールズ・テイラーアンリ・ベルクソンエマニュエル・レヴィナススティーヴン・ルークスアルフレッド・ラドクリフ=ブラウンエドワード・エヴァン・エヴァンズ=プリチャードメアリー・ダグラスヒューイ・P・ニュートン、ポール・フォコネ、ロバート・ニーリー・ベラー、ズィヤ・ギョカルプ、デイヴィド・ブルア、ランドル・コリンズ、ニール・スメルザー
プロジェクト:人物伝
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エミール・デュルケーム(デュルケム、デュルケイムとも、Emile Durkheim、1858年4月15日 - 1917年11月15日)は、フランス社会学者オーギュスト・コント後に登場した代表的な総合社会学の提唱者であり、その学問的立場は、方法論的集団主義と呼ばれる。また社会学の他、教育学哲学などの分野でも活躍した。
略歴

デュルケームはフランスのロレーヌ地方エピナルで代々敬虔な信仰を保持したフランス系ユダヤ人の家系に誕生している。父親と祖父はラビであった。また彼の教え子と友人の多くはユダヤ人であり、血縁者であった。

しかし、彼自身は世俗的な人生を送っている。事実、彼の業績の多くは宗教現象が天与の要素よりはむしろ社会的なそれに起因していることを実証したものであった。

彼はパリ高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリウール)で学んだ後、リセ哲学の教授を務めた。1886年にはドイツ留学し、実証的社会科学の方法を学んだとされる。翌年の1887年にはフランスに帰り、アルフレッド・エスピナスに招かれボルドー大学の職に就くとともに、ルイーズ・ドレフェスと結婚する。このボルドー時代に、処女作『社会分業論』や代表作『自殺論』が執筆された。これらの研究成果により、彼の名声は次第に高まることとなった。(『自殺論』については後述)

1902年、デュルケームはフェルディナン・ビュイッソンの後任として、ソルボンヌ大学の教育科学講座に転じた。以降、デュルケームの研究には教育をテーマとしたものが多くなり、『教育と社会学』や『道徳教育論』などの論文を執筆するに至る(ただし、これらが書籍として出版されるのは、彼の死後のことである)。また、他方で彼の宗教研究も続けられており、『宗教生活の原初形態』も執筆された。これらの研究成果は、後に教育社会学および宗教社会学として成立することとなる。

1914年、第一次世界大戦が勃発し、その直前にデュルケームの高等師範学校時代の旧友ジャン・ジョレスは右翼テロの犠牲となり、またデュルケームは息子アンドレを戦争で失った。これらの出来事は、日頃の多忙な生活を続けるデュルケームの心身に大きな打撃を与えることとなり、1917年5月にはソルボンヌの講義を中止し、静養することになる。しかしその後、彼はもとの職務に復帰することはなく、同年11月に死去。
デュルケームの業績
社会学主義の提唱者

デュルケームは当時としては斬新な独自の視点から社会現象を分析し、経験科学としての社会学の立場(社会学主義)を鮮明に打ち出した人物である。実証主義の科学としてオーギュスト・コントによって創始された社会学が、未だに学問として確立されていない状況を見たデュルケームは、他の学問にはない独自の対象を扱う独立した科学としての地位を築くために尽力した。

彼は『社会分業論』において、社会学を「道徳科学」と位置づけ、諸個人の統合を促す社会的要因としての道徳(規範)の役割を解明することであると考えた。そしてその後、『社会学的方法の規準』において、社会学の分析対象は「社会的事実」であることを明示し、同時代の心理学的社会学の立場をとっていたガブリエル・タルドを強く批判した。

デュルケームが社会学独自の対象とした「社会的事実」とは、個人の外にあって個人の行動や考え方を拘束する、集団あるいは全体社会に共有された行動・思考の様式のことであり、「集合表象」(直訳だと集合意識)とも呼ばれている。つまり人間の行動や思考は、個人を超越した集団や社会のしきたり、慣習などによって支配されるということである(たとえば、初対面の人に挨拶をすること、うそをつくのは悪いことだと考えることなどは、社会における一般的な行動・思考のパターンとして個人の意識の中に定着したものである)。

彼は、個人の意識が社会を動かしているのではなく、個人の意識を源としながら、それとはまったく独立した社会の意識が諸個人を束縛し続けているのだと主張し、個人の意識を扱う心理学的な視点から社会現象を分析することはできないとして、タルドの心理学的社会学の立場を批判した。


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