エミリアナ・トリーニ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}これはアイスランド人の名前です。ラストネームはの名前としてのですが、この記事で取り扱っている人物は、正式には個人名のエミリアナで呼ばれます。(Template:アイスランド人の名前

エミリアナ・トリーニ
Emiliana Torrini
エミリアナ・トリーニ(2005年)
基本情報
出生名Emiliana Torrini Davidsdottir
生誕 (1977-05-16) 1977年5月16日(47歳)
出身地 アイスランド コーパヴォグル
ジャンルインディー・ポップオルタナティヴ・ロックトリップ・ホップエレクトロニカ
職業歌手シンガーソングライター
担当楽器ボーカル
活動期間1994年 -
レーベルラフ・トレード・レコード
共同作業者ガス・ガスカイリー・ミノーグスニーカー・ピンプス
公式サイト ⇒emilianatorrini.com

エミリアナ・トリーニ (アイスランド語: Emiliana Torrini、1977年5月16日 - )は、アイスランドコーパヴォグル出身の歌手
来歴

父親はアイスランドで有名なイタリア料理レストランの経営者、母はアイスランド人。学生の頃は家業を手伝って時折ウェイトレスをしていた。7歳からコーラス隊に入り、15歳からオペラ学校に入った。

1994年、Spoonというバンドにボーカルとして参加し、アルバム『Spoon』でデビュー。1995年の初となるソロ・アルバム『Croucie d'ou la』では、日本のピチカート・ファイヴの楽曲をカヴァーしている。

トリーニはアイスランドのアーティスト・グループであるガス・ガスのメンバーを務めており、アルバム『ポリディストーション』(1997年)では数曲にボーカルを提供した。

1999年、アルバム『Love in the time of science』(ティアーズ・フォー・フィアーズローランド・オーザバルらによるプロデュース作品)をファットキャット・レコーズよりリリースし、世界デビューを果たす(それまでのソロ・アルバムはアイスランドのみの発売)。

2002年、映画『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』のエンディングテーマのオファーを受けていたビョークが自身の妊娠を理由に断り、その代役としてほぼ無名のシンガーだったエミリアナが大抜擢され話題となった。映画上映後は「あの歌(「ゴラムの歌」)を歌っていたのはビョーク本人ではないか?」との問い合わせが殺到した。

2003年、オーストラリアのシンガー、カイリー・ミノーグのアルバム『ボディ・ランゲージ』に楽曲を数曲提供。

2005年に大手インディーレーベル、ラフ・トレード・レコードに移籍し『フィッシャーマンズ・ウーマン』をリリース。2000年に交通事故死した恋人との思い出や、追悼の念を込めたこのアルバムは、2006年のアイスランド・ミュージック・アワードで「ポップアルバム・オブ・ザ・イヤー」と「ベストシンガー・オブ・ザ・イヤー」、そして収録曲の「Sunny Road」が「ベストソング・オブ・ザ・イヤー」と「ベストビデオ・オブ・ザ・イヤー」を受賞するという快挙を成し遂げた。

2008年、フランツ・フェルディナンドなどの作品を手がけるダン・キャリーとの共同プロデュースで『ミー・アンド・アルミーニ』を発表している。

2010年1月12日、2度目の来日(前回の来日はプロモーションのためのインタビューのみ)で、初日本公演を原宿アストロホールで行う。
カバーした主な楽曲
アルバム『Croucie d'ou la』 (1995年)


クレイジー・ラヴ」(ヴァン・モリソン

「007 黄金銃を持つ男」(ルル

「I」(ピチカート・ファイヴ

「Today I Sing the Blues」(アレサ・フランクリン

アルバム『Merman』 (1996年)


「ブレイム・イット・オン・ザ・サン」(スティーヴィー・ワンダー

ステファニー・セッズ」(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

チェルシーの朝」(ジョニ・ミッチェル

「恋におそれて」(トム・ウェイツ

「I Really Loved Harold」(メラニー・ソフィカ

アルバム『フィッシャーマンズ・ウーマン』 (2005年)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:15 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef